2016年06月

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水曜日の投稿

和田 亜也
投稿者:和田 亜也
(ディレクター)

2016年06月01日

"滋賀・神山・東京" 私がさまざまな場所で
生活して見えてきたもの

TOPICS

和田 亜也
投稿者:和田 亜也(ディレクター)

こんにちは。神山ものさす塾を卒業し、4月からプロデュース部に入った和田です。
滋賀で教師をしていた私がなぜ、全く違う職種を選んだのか。神山を経て東京のモノサスで働くまでの道のりを、振り返ってみたいと思います。
 

滋賀での自分のこと
〜 場所にとらわれないはたらき方の模索 〜

私は京都で生まれ、小学生の時に滋賀に引っ越しました。目の前には琵琶湖があり、家の裏にはそびえ立つ比叡山がある。そんな自然豊かな場所で育ちました。
特に比叡山は私にとって、思い入れのある場所です。それというのも高校時代、比叡山は私が所属していた陸上競技部の練習場所だったからです。山頂まで走って行ったり、山道や石の階段を駆け上がるのが日課でした。
山に登って見る琵琶湖の景色はまた格別。また、仕事が休みの時や、リフレッシュしたい時は、よく琵琶湖の浜へ行って、波の音を聞いていました。

山と湖のある滋賀県が、私は大好きです。

社会人となってからは、滋賀で中学校の教師をしていました。社会と国語の免許を持っていたので、2教科を受け持つという少し特殊な働き方をしていました。


目の前に広がる琵琶湖。夏はここで泳げます。

そんな中、私の世界観を変える人物が現れました。それが今のパートナーです。パートナーはブラジルから日本に来た移民です。パートナーからブラジルのいろいろな話を聞きました。
例えば、ブラジルは多民族国家で多様性が尊重されていることや、ブラジルの雄大な自然や気候の話などなど...。日本という小さな国で育った私には、どれも新鮮でスケールの大きな話でした。

そんな話を聞くうちに、もっと広い世界を見たい、将来はブラジルに行って生活してみたいと思うようになり、おのずと、場所に縛られない生き方をするには、どうしたらいいのかと考えるようになったのです。そこで、私の頭に思い浮かんだことは、Webの仕事なら場所を選ばずに働くことができるのではないか、ということでした。

もともと、ものづくりが好きで、ブログを書いたり、見栄えをカスタマイズしたりと、Web制作の仕事に興味がありました。
とはいえ、自分にはWeb制作の経験はない...。
しかし、自分が興味のある技術を磨き、仕事にも生かしたい。何より、今後の生き方を考えると、やってみるしかないと思ったのです。

そんな矢先、「日本仕事百貨」というサイトでモノサスの求人ページを発見。「自分の生き方は自分で決める。自分なりのモノサシをもつ人をつくる」という考え方に触れ、価値観やフィーリングが合うのを感じ、応募しました。
 

モノサスでの面接
そして神山へ

採用面接では、自分が思う生き方や働き方について話しました。自分自身のことやこれからの自分の生き方について、ここまで面接で話したのは初めてでした。場所を選ばない働き方がしたい、興味がある仕事がしたいという思いで来たものの、内心は経験もない自分がやっていけるか、など不安な気持ちも大きかったです。

ほどなくして、結果を知らせるメールが来ました。恐る恐る開くと、今回の採用は見合わせるというような内容が…。やっぱりダメだったかと思いつつ、最後まで読んでみると、「ですが…」と続く文章が。そこには、徳島県の神山町というところで、Web技術者を育てる塾を開催するので興味があれば応募してみないか、という旨が書かれてありました。

とても驚きましたが、何だかすごくワクワクしました。
神山という未知の場所でWebの技術を学ぶこと、それは場所を選ばず仕事がしたいと思っていた私にとって、挑戦すべき課題ではないか。

私は神山ものさす塾に応募し、滋賀県から神山に行くことに決めました。
 

神山での生活
〜 場所を選ばないはたらき方実験 〜


神山にあるコンビニの駐車場。山がこんなに近い。
 

住む家のこと

神山町は、その名前の通り、神々が住んでいそうなとても美しい山のある町でした。
ものさす塾の期間は5ヶ月間だったので、その間に住む場所が必要です。

最初に滞在した場所は神山スキーランドホテル(Facebook)。同時期に行われていた、株式会社リレイションの神山塾の方たちと一緒に、1ヶ月間の共同生活を送りました。


スキーランドホテルの薪ストーブで火おこし初体験。

知らない土地で知らない人々と共同生活するのは、最初はとても不安でした。
ですが、実際にスキーランドホテルに行ってみると、先に滞在されていた神山塾の方たちから「晩ご飯を一緒に食べませんか。」と声をかけていただき、いっきに不安がなくなったことを覚えてます。

コーディングの授業から帰ると、神山塾の方々と、スキーランドのお母さんの手作りのおいしい夕飯を一緒に食べ、お互い今やっていることを話をしたり、過去にどんなことをしてきたかなどを話したりしました。同じ神山で内容は違えど、頑張っている仲間がいると思うと、大変心強かったです。
スキーランドホテルでの共同生活を終え、次に住む家がなかなか見つからず、困っていました。すると偶然、「つい最近空き家になった家がある」と地元の方に紹介していただいた家は、授業を受けていた建物のすぐ近くの2階建ての一軒家。授業に行くのも便利だし、家電も家の持ち主の方が使っていいと言ってくださったので、生活をすぐに始めることができました。

最初の1ヶ月は、齊藤あかね(ものさす塾生 兼 事務局スタッフ、現チェックチーム所属)とルームシェアをしました。広い家でしたが、私たちはこの家の2畳の部屋(廊下かもしれない)を気に入り、そこでご飯を食べたり、テレビを見たり、いこいの場にしていました。


古民家カフェと呼んで気に入っていた2畳部屋

齊藤が引っ越した後も、授業の後、この部屋で夕飯を一緒に食べていました。野菜が豊富な生活だったため、それらを使って鍋やカレー、シチューにすることが多かったです。
昼食は、毎朝6人分つくるという齊藤の手づくり弁当を食べる生活を送っていました。


色とりどりの齊藤お手製弁当

近くに住む方に、みかん狩りに来ないか、と誘っていただいたり、椎茸を大量にいただいたり、「食」と人がとても近いところにある、そんな印象を神山では受けました。

引っ越すときや、引っ越してからの諸々の手続きなども、神山の皆様に大変お世話になりました。町の人のあたたかさに触れ、決して便利とは言えないですが、都会の生活にはない人とのつながりがあり、とても住みやすい町だと実感しました。
 

毎日の授業のこと

Webコーディングに関する授業は、毎日が必死でした。

前期は、コーディングの基礎を学びました。HTML、CSS、JavaScript、それぞれ名前と役割は何となくは知っていたのですが、明確な役割、コードを書く上での考え方など、基礎的な部分からしっかり教えてもらったことが今の私のコーディングの礎になっています。

後期は、今までに習ってきたことの応用、そして、実践的なWebサイトつくりに必要なテクニックについて授業を受けました。コーディングをしていてどうしても行き詰まったときや、頭に浮かぶほんの些細な疑問にも丁寧に答えてもらい、安心して授業を受けることができました。
講師の伊藤と丸山には本当にたくさんのことを教えてもらい、大変感謝しています。

また、授業外でも、塾生たちで勉強会を開き、日頃の疑問や悩みを相談したり、新しい技術を試してみたり、日々コーディングに関する知識共有をしていました。
この勉強会の存在も私にとって、大きな心の支えであり、よりコーディングに興味を持つきっかけにもなりました。ものさす塾を一緒に乗り越えてきた仲間と、今いっしょに働けることをとても嬉しく感じます。
 

東京のモノサス本社へ
〜 場所の先にあったもの 〜

ものさす塾を卒業し、4月から東京の代々木オフィスへ来ました。
プロデュース部に所属することになり、早速Web制作の仕事を担当しています。
滋賀や神山での生活とは一変し、近くにコンビニやスーパー、本屋、何でもあり、大変便利な生活になりました。欲しいものはすぐ手に入り、たくさんのものが周りにあり目移りするほどです。とはいえ、便利な生活になっても、神山で必要最低限のものだけで生活していたこと、今あるものに感謝して生活していた感覚を忘れずにいたいです。


家の近所の商店街。いつもたくさんの人で賑わっています。

東京は、滋賀や神山に比べて圧倒的に人が多いです。その分、人間関係の密度は希薄になりがちですが、たくさんのコミュニティがあり、同じ物事に共感する人々をみつけやすい場所でもあります。私がモノサスで働きたいと思ったのも、数あるWeb制作会社の中でも、「自分のモノサシをもつ」という考え方に共感したことに始まります。

実際に働いてみて思うことは、モノサスの人たちは多様で多才で、それぞれが自分らしく生きているということ。私自身も、いま、自分らしく働くことができています。滋賀、神山、東京、それぞれの場所に、それぞれの良さがありますが、その場所で自分がどう生きていくか、自分が選んだ場所で「自分が何をするか」が大切だということに気づきました。

人と人とのつながりはとても大切です。どこで、誰とつながり、どんなコミュニティに入っていくのか、もしくは自分がコミュニティをつくるのか、全て自分次第です。
縁があってモノサスに入社しましたが、これも私が選んだこと。これから何ができるのか。今こうして、それぞれのモノサシをもつ人々と出会いました。このつながりを大切に、いろいろなことに挑戦していくつもりです。

この投稿を書いた人

和田 亜也

和田 亜也(わだ あや)ディレクター

京都生まれ滋賀育ち。流れに流れて滋賀から神山を経て東京へ。映画、ゲーム(特にレトロゲーム)、怪談、読書が好き。神山でスーツケース1つの荷物で生活したことからミニマルライフに目覚める。

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