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Mar,2017
栗原 功
投稿者:栗原 功
(チーフディレクター)

2017年03月08日

神山ものさす塾での6ヶ月を振り返って
〜自分なりの営み方への気づき〜

神山ものさす塾

栗原 功
投稿者:栗原 功(チーフディレクター)

こんにちは、運用チームリーダーの栗原です。

前回の記事に引き続き、私が塾長として携わった「神山ものさす塾・第二期」の6ヶ月間を振り返ってみたいと思います。

前編では、塾長としてヤキモキしていた話を中心に書かせてもらいました。後編では6ヶ月の神山での暮らしにおいて自分の中で起こった変化について書いていこうと思います。


お金で生活を買っていた?

神山ものさす塾・第二期では、コーディングとライティング(インタビュー含む)の技術を学び、「中の人」となるべく人材を育成することを目指していました。(「中の人」についての詳細はこちら)それを実現するべく、手前味噌ですが、豪華なゲスト講師の方々にご協力をいただきました。

ゲスト講師のトップバッターとして立ってくれてたのは、西村佳哲さん。(西村さんのインタビュー記事もぜひご覧ください。)

クライアントの「中の人」になるとはどういうことか。クライアントの依頼に対して「中動態」のスタンスで文章を書けるようになるには?そういったスタンスの部分も含めて、西村さんが考える「営み方」に関して、公・共・私の話を具体的な例を挙げてもらいながら、盛りだくさんの内容で話をしていただきました。(私も塾生と一緒に拝聴させてもらいました。)

そのなかで強く印象に残ったのが、
「多くの人は、もっぱら『働いているか』『お金を払っているか』だよね。」
という西村さんの言葉でした。

まるで、自分に対して言われているかのような...完全に自分に当てはまる言葉でした。
日中は働いて、夜遅くに飲食店もしくは最寄りのコンビニで夕飯を済まし、そして寝る...を繰り返す毎日の中で、お金を支払うことで飲食店などのサービスを受けて「生活」が成り立っていたなと。

「生活」をお金で買い「生活」を送っているということに気付かされました。

決してそれがダメな訳ではないですが、お金で「生活」を買っている比重がとても高く、自分自身の「生活」のことをまったく考えられていなかったことに気付かされた一言となりました。


仕事と暮らしが地続きになる感覚

すこし話が逸れますが、モノサスが神山町へサテライトオフィスを開設した理由には、代表の林の私たちへの想いがあります。

20170315_01.jpg
サテライトオフィス1Fにて。

それは、社員各々が自分自身の働き方・生活の仕方を考えるようになってもらいたいということ。

会社はその考えるきっかけを与える役割があるのだと。その思いから、働く場所の選択肢を増やして、暮らし方働き方を考えられる場所として、神山にサテライトオフィスを設立することになりました。(設立の目的はこれだけではないですが。)

東京での生活が合う人・合わない人、神山のように自然に囲まれた場所の生活が合う人・合わない人、それぞれいるなかで、自分が合う場所で、自分に合う生活をして働いて欲しい。
それが代表の林から私達に対するメッセージだと捉えています。

こんな会社に属していながら、正直、東京での生活をやめて地方で暮らすことは、他人事だと思っていました。自分には関係ないことだと。

そんな自分がひょんなことから神山ものさす塾の塾長として神山町で生活をすることになり、西村さんの講義や林からのメッセージ、地方での暮らしに興味を持つ塾生たちが神山でイキイキ生活している姿に触れるなかで、嫌でも自分自身の生活を見直すことになりました。

たとえば、食事をするにも、選択肢に溢れかえっていた東京とは異なり、神山は近くの商店は早くに閉まってしまいます。もちろんご飯を食べられる飲食店も数件...遅くまで残業をしてしまった日には、簡単に夕飯難民になってしまいます。今まで仕事中に考える必要もなかった夕飯のことを考え、買い出しなどを済ませなければいけません。

そんな風に、半ば強制的に生活のことを考えなければいけない環境の中で、生活を取り巻く一つ一つの事柄に関して東京での生活と比べるようになっていったのです。

  東京 神山
通勤 片道2時間
(1日4時間)
ドアToドアで10分
(1日20分)
食事 外食がメイン 自炊がメイン
もらった野菜を使って。
健康 腰痛に悩む毎日。
季節の変わり目に必ず体調を崩す。
腰痛はだいぶ改善。
野菜を多く食べるようになったからか、すこぶる健康。
コミュニケーション 会社以外の人とは基本的にはなし 近所のおばちゃんと顔を合わせれば世間話などの立ち話。
中学生はすれ違えば気持ち良く挨拶してくれる。

東京と神山の暮らしを比較した表。通勤からコミュニケーションまで、すべてが劇的に変化した。


バカなほどやりきることで、
周りを巻き込み楽しむことができる。

また、塾生達と過ごせた日々の中でも大きな影響を受けました。

今回の塾は「ともに生きたい人と働く」をキャッチコピーに募集をおこなったので、おのずとWebの技術習得だけでなく、今後の働き方・生き方を考える場所を模索する目的で参加してくれる人が集まってくれました。
私がこんなことを言うのもなんですが、もし私がフリーターでWebの勉強をしたいと思っていたとしても、「神山ものさす塾」に応募するかといったら絶対しないと思います(笑)。地方での暮らしは私の選択肢にはなかったので、神山町でWebを勉強することに共感しないと思うからです...。東京ですればいいのにと。

そんな私と相反する考えを持った塾生達の存在は、自分自身の生き方を改めて見つめ直すきっかけにもなりました。

自分から見た塾生は、フラットで自由で行動力があり、やりたいことを持っている。大袈裟かもしれませんが、とてもいい意味で「自由でかっこいい」存在でした。
働き方や生き方にちゃんと向き合って考えたことのなかった私にとって、塾生の存在は新種の生物のように興味深く、もっと話がしたいと思っていました。

しかし、講義終了後は翌日の準備や通常業務の打合せ、並行して進めていたサテライトオフィス開設に向けた準備に追われて思うように時間を作れない...。檻の中のライオンのように、歯がゆい気持ちで毎日を過ごすなか、塾生が食事に招待してくれたり、スポーツ大会やイベントを企画してくれたり、一緒に楽しませてもらう機会が増えていきました。

塾生を見ていて感じたのは、何事にも真正面から向き合い、どんなことにもメーターが振り切れるぐらいにやりきっていることでした。神山で一軒家を借りての生活(山奥での生活、薪風呂生活など)や「休日にはどこどこに行ってきた。」など、毎週忙しそうに動き回りながら、神山、徳島、四国でいまの環境の中でできることを各々が自分なりの範疇で接し、楽しみ、生活をしていました。

特に、11月に行われた「4K映画祭」では、ゆずのつかみ取りの路面店を出店。

20170315_02.jpg 1日限りの「ゆずの路面店」。大きな黄色の物体は、ゆずの神様を祀った神輿(もちろん手作り)

男性宅の敷地にゆずの木がたくさんなっており、それを売ろうと。なので原価はタダ。
しかし、すだちやゆずが豊富な神山では、ゆずは「買うものではなく貰うもの」。誰がお金を出して買うのか。そのままでは売れないと考えた塾生は、ゆずに付加価値を付けようと、マジックハンドを使ったゆずのつかみ取り(30秒)や、昔小学校の身体検査であった体重計を自宅の納屋の中から持ち出し、ゆずの重さ当てなど、様々なゲーム性を持たせて楽しむという付加価値を付けました。
楽しんでもらうために、自分たちで声を録音してゲーム中に流す効果音を作ったり(ゆず!ゆず!ゆず〜!←伝えるのが難しいですが、ハラハラワクワクする効果音)、ゆずの神様「ゆず神様」を祀った神輿を作ったりと。楽しんでもらう為の仕掛けを考えていました。

20170315_03.jpg

20170315_04.jpg ゆずのつかみ取りは大成功。お金を払ってゲームはするが、手に入れたゆずは「家に腐るほどあるからいらんわ」と言う地元の方も。。。

徹底的に「バカだな。」と笑ってしまうぐらいに、徹底的なバカでした。
(褒めています。)

バカなほどやりきることで、周りを巻き込み楽しむことができること。
彼らの物事への取り組み姿勢を見ていると、私自身も、最大限今の環境でバカをやらないと損だな、と思うようになり、神山での生活を精一杯楽しむようになりました。
まだ、バカにはなりきれてないですが。


自分なりの「営み方」を見つけていきたい

20170315_05.jpg

神山という場所は、地方での暮らしや働き方を実践する場として移住してくる人が多いところです。私自身、神山へ来たきっかけは塾長としての「業務」であり、終了後は東京へ帰るものだと思っていました。

しかし、東京に比べて格別不便な環境であるにも関わらず、不便であるからこそ生活に向き合う時間が増え、生活に対して考える時間を設けることができて、自分の意識が変わっていきました。

今の場に対して向き合い楽しむこと。そしてやってみること。

仕事においても同じで、神山へ来て生活に重きを置くわけではなく、生活も大事にするということ。仕事の量を減らすわけではなく、今まで仕事に比重が傾いていた状態から生活とのバランスを均等にすること。
生活をすることで、仕事が溢れてしまえば、できる方法を考える。時間がなければ土日に作ればいい。いろいろな考え方があると思いますが、今は、これをやってみる。やってダメならやり方を変えてみる。そんな風にトライアンドエラーを繰り返し、自分なりの「営み方」を見つけようとしているところです。

そんなこんなで、塾が終わった後も神山に残りたい、まだまだチャレンジしたいと思い、神山での生活を続けることを選択しました。
(塾終了後の昨年末に住民票を移して、晴れて神山町民となりました。神山のみなさま引き続きよろしくおねがいします。)

数年後のことをイメージすることは可能でも、実際その時のことは誰にもわかりません。
今の自分に気持ちに素直に従い、自分で決めた選択を精一杯楽しみ、失敗を繰り返し前に進んで行こうと思います。


神山での172日間をふりかえって

20170315_06.jpg 神山ものさす塾を開講していた、グリーンバレーさん管理の神山町農村環境改善センターからの風景。

神山ものさす塾の期間を、改めてカレンダーで日数をカウントしてみると172日。
この172日間を、塾生10名、塾生兼事務の降旗、私を含む12名で、この神山町にて過ごしてきたんだと思うとしみじみします。

本当に多くの方のご協力があってはじめて、神山ものさす塾は成り立ちました。

営み方、人の話の聞き方、インタビューについて教えてくれた西村佳哲さん。
ライティング講座を担当してくれた、栃澤桂司さん。
カメラ講座を担当してくれた阿部昌也さん、近藤奈央さん。
地域コーディネート講座をお願いした祁答院さんを始めとするリレーションの皆さん。

また、コーディングカリキュラムをサポートしてくれた垳田。
運用カリキュラム講師を担当してくれた運用チームのメンバー。
モノサスタイランドから帰国後すぐにコーディング講師として飛んできてくれた伊藤。
塾を東京から全力サポートしてくれた岩木を初めとするモノサスメンバー。
私が不在の間、業務をしっかりと支えてくれた運用チームのメンバー。

そして、毎日笑顔で教室に迎え入れてくれた、グリーンバレーのみなさん。
生活面においていろいろとサポートしてくれた神山町のみなさん。

ここに書ききれないほど多くの方に手伝っていただきました。
色々と、気が回らずに至らない点等あり、ご迷惑をおかけする部分も多々あったかと思います。

重ね重ねとなりますが、みなさんのおかげで塾生10名全員卒塾することができました。
本当にありがとうございました。

塾生をはじめ、本当に多くの方と出会えた神山ものさす塾。
私自身、ひとりの人間としても大きく成長ができた172日間だったのではと感じています。


最後に、塾生のみんなへ

20170315_07.jpg カメラ講座でも講師をお願いした神山町にある倉良写真館の近藤奈緒さんに卒塾記念に集合写真の撮影をおねがいしました。メイン画像とは異なり、こちらはみんな決め顔Ver。見るたびに笑ってしまいます。近藤さん、ありがとうございました。

互いを思いやる部分に溢れていた塾生たち。自然と各々の役割ができ、本当によいメンバーに恵まれ素晴らしいチームになったと思います。
このメンバーで塾期間を過ごせたこと、一緒に共に歩んでくれたことに感謝しています。

神山ものさす塾の塾長としてちゃんとできていたんだろうか、もっと塾生からはこうして欲しかったなどあるのかもしれません。
でも、みんなの中に神山で学んだ何かが少しでも残ってくれたのなら、良しとします。

神山へ残ってくれた人、東京へ行った人、タイに行った人、地元に帰った人それぞれがそれぞれの判断で決め、次の道を決めました。その選択を今後も全力で応援します。
何かあれば、いつでも電話ください。

では、それぞれの場所で頑張って。また神山で会えたらいいですね。ぜひ集まりましょう。

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卒塾パーティー後、塾長(一番右)爆睡中に最後の記念撮影 笑。

この投稿を書いた人

栗原 功

栗原 功(くりはら つとむ)チーフディレクター

Webマスターサポート部所属。運用ディレクションが中心ですが、リニューアル案件も担当しています。神奈川県から徳島県の神山町へ移り住み、基本は神山オフィス勤務。時々、代々木オフィスでも仕事をしています!

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