
2016年01月22日
「惚れ」からはじまった
大阪事務所
「吉永さんは元々東京出身で、大阪事務所ができたタイミングで大阪に来たんですか?」
往訪先で大阪事務所が最近できたことをお話しすると、こう聞かれることがあります。
「いえいえ、こっち(大阪)の出身ですよ。こっちで働いていて、以前は私もコーディングファクトリーに相談していた側なんです。」
「そうなんですか?!どういうことですか?」
前回は大阪事務所でどういったことしているかをお話しましたが、今回はそもそもの大阪事務所開設のいきさつをお話します。
コーディングファクトリーを
知るきっかけ
コーディングファクトリーサイト トップページ
モノサスに入社する前、私は大阪のとあるデザイン事務所で働いていました。
グラフィックデザインメインの会社だったため、ウェブサイト制作の依頼が来た時はデザインのみ社内で行い、コーディングは外注して対応していました。
普段は規模の小さいサイトの案件が多かったため、コーディングを外注すると言っても、知り合いの方や近隣のコーディングできる方に依頼していた程度です。
そんな中、事務所社長のつながりで関西の私立大学サイト制作の相談が来ました。
その大学は多くの学部を持つ言えばマンモス校で、サイトも数千ページを有する大学です。
事務所のみでは明らかに対応できる範囲を越えていたのですが、つながりからの相談ということもあり、むげに断ることもできず、制作の提案をすることとなりました。
もちろんコーディングは外注を利用するつもりでしたが、普段頼んでいる方にも明らかにキャパオーバーな規模。。
コーディングをどうしようかと思い、ネット検索していたところ「大規模案件ならコーディングファクトリー」のワードが目にとまりました。
「大規模が得意?」どんな会社だろうと思いつつ、コーディングファクトリーサイトから問い合わせをしてみることに。するとその日のうちに折り返しの電話が入り、来阪してもらった上で打ち合わせすることとなりました。
その時対応してもらったのが、マーケティング部部長の龍田です(当時はコーディングファクトリー統括の立場)
打ち合わせ当日「えらい迫力ある人が来たなー」と思いつつ(最近は随分まるくなったと感じますが)、コーディングファクトリーがどういったサービスか、どういった体制を敷いているか、またどのように大規模案件を対応しているかの話をしてもらいました。
話を一通り聞いた後に思ったことは「信頼できる」、そして「関西にもこんな会社があったらいいな」ということ。
大阪事務所で打ち合わせをする吉永(左)と龍田(右)
私の知る限りでは、関西にはここまでしっかりした体制を敷いたコーディングアウトソースの会社はなく、もしこの案件が受注になれば、ぜひともこの会社にコーディングをお願いしたいと思ったのを覚えています。
その後、龍田にコーディング工数等の相談をしつつ、なんとか大学に提案を提出するまで至りました。
が、結果としては、受注とはならず提案止まりでこの案件は終わってしまいました。
一通のメールからモノサスに入社、
大阪事務所のはじまり
この案件が終了してしばらくしてから、私自身の都合でそのデザイン事務所を転職することとなりました。
皆さんがそうされるように、私も転職サイトや転職エージェントを通して転職先を色々探し、結果、あるウェブ関連の上場企業から内定をもらうことができました。
上場しているということで間違いなく安泰であり、家族も安心できる会社から内定をもらったのですが、どうしてもひっかかることが。
それは、大学サイト案件の提案でお世話になったコーディングファクトリー、モノサスで働くことはできないかということ。
もちろん転職先を探す際「モノサス」という字を探しましたが、関西での求人は行われていませんでした。
求人はなかったものの、働いてみたいと思う会社で働けないと後で必ず後悔すると思い、思い切って龍田に一通のメールを送りました。
内容は一言でいうと、
「コーディングファクトリーを関西でも広めたい。それを私にさせてほしい。」
思い切ってメールしたものの、きっとドン引きされて返信も来ないだろうなと思っていました。
が、数日後、龍田から返信が。
「分かりました。一度会って話をしましょう。」
その後は自分でもびっくりする程トントン拍子に話が進み、モノサスに入社。
しばらく東京本社で仕事を学び、2014年1月、大阪事務所開設と同時に大阪に戻ってきました。
開設後に気づいたこと、
モノサスにいる理由
事務所が関西なら、ポストイットも関西弁。
大阪事務所を開設したものの、こちらでのベースはほぼ「0」の状態。
コーディングファクトリーというサービスを広めるためにはどうすればいいのか。どう動けばいいのか。案件を進め、お客さんの声を聞き、施策を考え、一歩一歩前進するしかない日々が続きました。
ベンチマークがいるわけでもなく、後を追いかければいい先駆者がいるわけでもない、全てが手探りの状態。
そんな状態が開設以来ずっと続いています。もちろん今も。
ただ、そんな日々ですが、たまらなく充実しています。
時折考えます。
なぜあの時コーディングファクトリーを選び、なぜ今モノサスのいるのか。
転職先を探している際、心の真ん中でそうしたいという気持ちがあったものの、それを言葉で表すことはできませんでした。
しかし、最近になってその気持ちをやっと言葉にすることができました。
それは「惚れている」という言葉。
コーディングファクトリーというサービスに、このモノサスという会社に惚れたんです。
大変ですが、大阪、関西、西日本で、もっとコーディングファクトリーというサービスを広めたいと思い、東京本社に出張に行った時は、同じ部のメンバーはもちろん、仕事でほとんどかぶることのない部署のメンバーや、代表や取締役とも飲みにいきたいと今でも思います。
そう思うのは、このサービスと会社に惚れてるからなんでしょう。
「惚れてしまったなんとかには、めっぽう弱い。」
この言葉、私にとって正解です。
さて、今日も惚れてる会社で、ここ大阪でがんばりましょうか。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
また数ヶ月後に。