2016年07月

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水曜日の投稿

龍田 祥拡
投稿者:龍田 祥拡
(マーケティング部 部長)

2016年07月20日

吉永尚由よ。
大阪のことは、任せたで。

メンバー紹介

龍田 祥拡
投稿者:龍田 祥拡(マーケティング部 部長)

吉永と初めて会った時のことは、今でもよく覚えています。

当時、筆者はコーディングファクトリーというサービスの統括役を務めていました。当時のコーディングファクトリーは、今と比較すると、まだまだ知名度も低く、毎日、予算や案件やマネジメント業に追われる忙しい日々でしたが、自分達が目指す姿を実現しようと、情熱を持って、充実した毎日を送っていました。

そんなある日、大阪の会社から大型案件の相談がきました。大阪にある私立大学のWebサイトリニューアル案件です。これからコンペに参加するという段階で、コーディング担当として、共同提案ができないか?という相談でした。

規模の大きな案件だし、仕事をするのも初めての会社だということもあり、まずは会って話をしないといけないなと、すぐに飛行機を予約し、大阪へ。
向かった先は、大阪は天満のオフィスビルです。
エレベーターが全然来なくて、階段を登って、3階へ。
チャイムを鳴らし、待つこと数秒。
出てきた相談の主が、吉永尚由、その人でした。

そうです。
元々は、これからお付き合いが始まろうとしている会社の社員だったのです。

結果的には、その共同提案案件は、残念ながら受注には至らなかったのですが、一緒に提案書を書き、見積調整をし、コンペに向けて、協力して仕事を進めたという間柄でした。
 

突然のメール。

最初の訪問から、2~3ヵ月ほど経った頃でしょうか。
吉永から、一通のメールが届きました。
いきなりです。

今回は、本人の許可も得たので、その時送られてきたメールを原文のまま紹介します。

龍田さん

お世話になります。

唐突ではありますが、コーディングファクトリーさんは関西圏での
活動を行う予定はないでしょうか?
もし可能でしたら、私にコーディングファクトリーの一社員として
関西圏での新規開拓及びディレクション業務をさせていただけないでしょうか?

今はここ●●●(勤めていた会社名)でお世話になっておりますが、
さらなるキャリアアップを目指し、9月を目途に転職をする予定でおります。

大阪の制作会社やCRM提供企業等、転職先を調べておりましたが
●●大学サイトの案件獲得の動きの中で、コーディングファクトリーさんの
仕事の進め方や方向性を知り、貴社で私も一緒に働かせてもらえたらと
思うようになりました。

また現在、レスポンシブ案件を担当する中で、コーディングによる
Webデザインの幅が格段に増えてきているのも大きな理由です。
Webフォントや、Javascript、CSSによるバナー装飾等など‥

<code>DESIGN</code>

この流れは今後数年で一気に加速すると感じています。
その流れの中で、コーディングファクトリーさんの将来性にも
大きな魅力と期待を感じています!

唐突すぎるぐらい唐突ではありますが、ぜひ一度ご検討を
お願いできないでしょうか。
もしご検討いただけそうなら、一度貴社にお邪魔させて
いただき、お話の機会をいただけたらと思います。
来週の27日に別件で東京におりますので、もしよろしければ。

いきなりの長文失礼いたしました。
どうぞよろしくお願いいたします。


吉永

どうしますか?皆さん。
一緒に仕事を進めている担当者から、こんなメールが来たら。

モノサスに入社したいという話だけなら、まだしも、
「大阪事務所を立ち上げませんか?」
「それを任せてもらえませんか?」
と、言っているのです。

何とも無鉄砲というか、厚かましいというか、無邪気というか。

ただ、想いと得も知れない情熱だけは、伝わってきました。
 

覚悟と怒涛の準備。

メールの中で「関西圏で活動する予定はないでしょうか?」とありますが、
当時は、そんな予定は、全くありませんでした。

ただ、筆者は兵庫県出身で、大学~社会人5年目までの10年間を大阪で過ごしました。
関西への思い入れは人一倍あり、いつか何かしらの形で、大阪に進出したいという秘めたる想いを持っていました。

メールを見て、ビビっときた訳です。

「おもしろそう」という期待はありましたが、そうは言っても、胡散臭さも拭えません。期待と警戒心が同じくらいだったというのが正直なところです。
「どうしようか」と、当時の上司と相談をする中で思い出したのは、仕事を一緒にしていた際、誠実に仕事をする人だったなという印象でした。それもあり、とりあえず一度話だけは聞いてみようかと、メールにある「来週の27日」に会ってみることにした訳です。

初めての面談当日。どんな話をしたかは、全く覚えていません。
その後、3回くらいは、会ったでしょうか。

吉永との面談と並行して、社内でも何度も話し合いをしました。
そして、最終的に、こちらも覚悟を決めました。
吉永の入社、つまりは大阪事務所立ち上げが決まった訳です。

決まってからは、バタバタでした。

仁義を欠いては、生きていけません。
吉永が勤める会社の社長さんの元へ伺い、ご挨拶をさせていただき、
当時の上司と、急いで大阪の事業計画をとりまとめ、
営業チームのメンバーが吉永の教育プランをまとめてくれ、
代表の林が、オフィスの手配を進めてくれと、
関係者総出で準備を進めました。

入社後、いきなり大阪で仕事を始めるのではなく、最初の3ヵ月間は、東京に住み込みで来てもらい、実地での研修を行ないました。“実地研修”ならぬ、“丁稚研修”です。
その3ヵ月間で、モノサスのこと、コーディングファクトリーのことを伝え、体感してもらいながら、営業や案件の進め方といった実務的なことまで、徹底的に勉強してもらいました。

そんなこんなで、2014年1月。
晴れて、大阪事務所開設と相成った訳です。
 

今までと、これからの源泉。

大阪事務所開設から、早いもので2年半が経ちました。
アッという間です。

今では、大阪事務所も、コーディングファクトリーを支える存在として、着実に育ちました。東京チームを引っ張る場面もあります。

しかし、すんなりここまで来たわけではありません。
やはり、ゼロから新しいことを始めるのは大変です。
しかも、開設から今に至るまで、大阪事務所のメンバーは吉永一人なんです。
一人ぼっちですが、本当によくがんばっています。

本人的には、しんどい時期もあったでしょう。
上手くいかずに、悩んだこともあったでしょう。
埋まらない東京チームとの差に、焦ったこともあったでしょう。
でも、そういった気持ちの揺れを理由に、仕事の活動量が減ってしまったり、パフォーマンスが落ちたりすることはありません。
これが、吉永の最大の特長です。

その源泉はどこにあるのか。
今回、改めて振り返ってみて、少し分かったような気がします。
「あの日のメールに、もうその源泉があったんじゃないか。」と。
「あの想いと情熱を、ず~っと燃やし続けているんじゃないか、この人は。」と。

まだ、その情熱が消える気配はありません。
きっと大阪事務所を次のステージへと進めてくれるものだと信じています。

大阪のことは、任せたで。

この投稿を書いた人

龍田 祥拡

龍田 祥拡(たつた よしひろ)マーケティング部 部長

兵庫県播州出身。祭りが盛んな地区で生まれ育ったので、祭り月(10月)はソワソワしています。バーテンダーの経験があり、社内イベントでは、いつもお酒係としてコキを使われています。マーケティング部の部長もやっています。

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