2016年11月

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木曜日の投稿

榛葉 真透
投稿者:榛葉 真透
(デザイナー)

2016年11月17日

僕がたどりついた、
1960年代のカウンターカルチャーと
サイケデリックポスターデザインが生まれるまでの時代の魅力

デザインの目のつけどころ

榛葉 真透
投稿者:榛葉 真透(デザイナー)

こんにちは。デザイン部の榛葉です。
今回このコーナーでは、僕がこれまで触れてきたデザインの中でも、特にその時代背景やデザイン性、取り巻くカルチャーを含めて影響を受け、今もなお影響を受け続けている、1960年代アメリカのカウンタカルチャーから発生したサイケデリックポスターデザインの魅力について紹介しようと思います。
 

まずはじめに

サイケデリックポスターデザインの魅力は、デザインそのものの奇抜で突き抜けた感覚だけに留まらず、1640年代から1960年代の間に、すべてから抜け出し、新しい価値観を求めて駆け抜けた若者たちが存在し、その結果として後の世に残る刺激的なカルチャーを生んだことについて、ということになるかもしれません。

多くの人に浸透している1960年代のアメリカのイメージといったら、『ウッドストック・フェスティヴァル』や『ザ・ローリング・ストーンズ』のようなミュージシャン、それを取り巻くヒッピーカルチャーではないでしょうか。
もう少しアメリカの文化やファッションに興味のある方でしたら、ビートニクス達からなる『ビート・ジェネレーション』や、映画『イージー☆ライダー』、サマー・オブ・ラブの発端である『モントレー・ポップ・フェスティヴァル』なども上がると思います。
それらは、フリー・スピーチ、ラブ&ピース、シビル・ライツ、戦争反対など、当時のアメリカの時代背景を象徴する、自由と平和をテーマにしたイベント、運動、芸術作品です。

ウッドストック・フェスティヴァル’69の様子
 

アメリカ文化への興味と音楽とファッションに没頭した10代

僕は、14〜15歳のころには、既にアメリカの音楽やファッションに多大な影響を受けていました。
当時のファッション雑誌はどれを見てもかっこいいハイテクスニーカーで紙面が飾られていました。
それと合わせて、リーバイスのヴィンテージジーンズ、アメリカのワークウェア、カレッジウェア、アウトドアギア、スケーターファッションがかっこよく取り上げられており、とても魅力的で刺激的な世界に見え、すぐに影響されました。


ハイテクスニーカーブームの火着け役となった、伝説的なスニーカーで、発売当時爆発的な人気により、定価の10倍以上の金額で販売されていたこともあるAIR MAX 95の後継モデル
Photo by Daniel Go Taken on January 20, 2013

それと並行するように、音楽の面でもビースティ・ボーイズニルバーナレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンなどのアメリカを中心に活躍するグランジ・ロック・バンドやミクスチャー・パンク・バンドの音楽のかっこよさにものめり込んでいきました。
そんな流行りの音楽やファッションに没頭しながら、その音楽が影響を受けた昔の音楽を掘り下げたり、関連する音楽にどんどん興味を持ち、洋服についても、それぞれの細かなディテールから年代や用途を判別する目を肥やしました。

1990年代のグランジ・ロックを語るには欠かせないバンド「NIRVANA」。映像は代表曲の“Lithium”。ギターボーカルのカート・コバーンの独特の脱力したスタイルやファッションは、多くの若者に多大な影響を及ぼした。
 

音楽を通して気がついたこと

僕は音楽と洋服を通じて1950年代以降の世界の出来事や文化を知りました。
今回紹介するポスターデザインも含めてです。
例えば、1970年代後期のイギリスの貧困や階級社会の問題から生まれたパンクムーブメントや、貧しいながらも独自の宗教観が発達したジャマイカで生まれたレゲエ・ミュージックです。
そうした独特な音楽に触れ、過去の音楽には、その時代での愛や怒りの表現やメッセージがたくさん含まれていることを知りました。
近代の音楽カルチャーというのは、必ずその時代の光と闇につながっています。

音楽やアートを取り巻くカルチャーが発達した時代背景には、人種や政治、戦争や支配、ドラッグや貧困などの複雑な問題があり、それに対する若者のアンチテーゼから進化し、時代と共に今日まで移り変わってきました。
それによって、音楽は常に時代から切り離すことのできない重要な文化なのだと気がつき、趣味や娯楽の領域を超えた、価値観やアイデンティティとして、多くのことを学ばせてもらっています。
 

音楽イベントとの関わりとフライヤーデザインについて

20代も半ばにさしかかったころ、学生時代からの友人から音楽フェスティバルを開催するという話がありました。
それに興味を持った僕も、制作や準備から参加することになります。
ミュージシャンによるライブや、ハンドクラフトの雑貨や洋服の販売、オーガニックで無国籍な飲食店、絵描きよるライブペインティングなどを盛り込んだ、小さな音楽フェスティバルがスタートしました。

来場者の数は100人から500人くらいまでの小さな規模でしたが、数人のメンバーで徹頭徹尾イベントを作る楽しさは格別でした。
その反面、とても大変で心が折れそうになることも幾度となくありました。

それから、年間1〜2回のペースで開催し、7年くらい続きましたが、そのイベントのフライヤーやポスターのデザイン、チケットやバナー、POPなどのデザインをしていたことが、後々デザイナーという仕事を志したきっかけになったんだと思います。


主催していた音楽フェスティバルや、その他のイベントのフライヤーの一部

そうしてたくさんのミュージシャンや音楽を愛する人たちと出会い、さらに深く楽しい音楽の世界を知っていくことになります。
しだいに主催のフェスティバルにとどまらず、別のフェスティバルの広告のデザインをしたり、会場のやステージの装飾を任されたり、運営のサポートをしたり、日常が音楽なしでは語れなくなっていました。
特にフェスブームと呼ばれるムーブメントが起きていたこともあり、ミュージシャンも然り、ファッション、飲食、クラフト、アート、デザインなど、自分と同じような雰囲気や価値観が好きな人たちとどんどん交流するようになっていきました。

僕は、幼少より物を作ったり絵を描くことが好きでした。
小学校の図書袋やリコーダーケースは、母親に縫ってもらうのが当たり前だったと思いますが、それを自分で縫って使っていたこともあります。
それは母が裁縫下手だったからではなく、自分から率先してのことです。
また、ノートや教科書は落書帳それと変わらない状態でした。

そんな気性も相まってか、1960年代から70年代初頭のアメリカの音楽やファッションに触れたことと、それを共感してくれる仲間に出会ったことによって、そのイメージに、より興味・関心を魅かれていったんだと思います。
そこで出会った世界は、いわゆる“サイケデリックカルチャー”や“フラワームーブメント”と呼ばれるカウンターカルチャーの世界の延長線上にあるのではと感じています。
 

1950年代、ポップアートの誕生

ここからは、僕のことは一旦おいておいて、時代の流れとサイケデリックポスターのデザインが生まれるまでのことを紹介します。

まずは、サイケデリックポスター・アートの礎となった『ポップアート』についてです。ポップアートとは、1950年代初期のイギリス・ロンドンを基として発生したムーブメントで、そこから派生し、1950年代末期にはニューヨークでもブームになりつつありました。
そこから、みなさんもご存知のようなアンディー・ウォーホールロイ・リヒテンシュタインといった著名なアーティストが生まれました。

それまでその時代のアート作品は、抽象表現主義が主で、一般には理解されにくい一線を引かれた一部の人々のものでした。
それが、ポップアートのアーティストらによって、身近なものと、大量生産・大量消費のイメージと結びつけられ、一般庶民の誰もが手にできる分かりやすく身近なものへと変革していったのです。

今日当たり前にアートを身近に感じれていることは、そうした時代の変革があったからこそです。
それらは、誰もが知るマリリン・モンローの肖像や一般家庭にもあるキャンベルスープの缶のパッケージをシルクスクリーンで量産させたウォーホールや、通俗な漫画のコマを拡大し、ドットまで含めて拡大表現したことで有名になったリヒテンシュタインの作品に分かりやすく表現されていますので、ぜひごください。


アンディー・ウォーホール
Photo by Jack_Mitchell (2011) / CC BY-SA 4.0-3.0-2.5-2.0-1.0


アンディー・ウォーホールの代表作 マリリンモンローの肖像(左)/キャンベル・スープ缶(右)
Left Photo by Maurizio Pesce(2013) / CC BY 2.0
Right Photo by Ian Burt(2006)/ CC BY 2.0


ロイ・リヒテンシュタイン
Photo by Eric Koch (2014) / CC BY-SA 3.0


ロイ・リヒテンシュタインの代表作
Right Photo by Ajay Tallam(2008) / CC BY-SA 2.0

 

1960年代の始まりとヒッピームーブメント、グレイトフル・デッドの及ぼした影響

1950年代、戦後急成長したニューヨークの経済でアメリカの一部は非常に豊かで華やかなものへと変わりました。
しかし、その影ではベトナム戦争や人種差別、公民権運動の問題があり、社会は二分されていたのだと思います。

そんな時代背景から、アートや文学は自由を求め、ニューヨークから西へ西へ広がり、サンフランシスコへと到達します。この一番大きな景況としては、ビート文学の立役者であるビートニクス達、アレン・ギンズバーグジャック・ケルアックゲイリー・シュナイダーウイリアム・S・バロウズニール・キャサディなどの作家・詩人の影響を受けた、ニューヨークのアンダーグラウンドで生きる若者たちが、彼らの作品に触れることで、新しい価値観を見出し、さらなる自由を求め西へ流れ、後にヒッピーの聖地と呼ばれるようになるサンフランシスコのヘイトアシュベリー地区に住み着いたことだと思います。


ビートニクの重要人物:アレン・ギンズバーグ(左)/ニール・キャサディ(中)とジャック・ケルアック(右)


ビートニクの作家たちの書籍(日本語版)
左から地下街の人々 J・ケルアック著(新潮文庫)/ 孤独な旅人 J・ケルアック著(河出文庫)/ 麻薬書簡 再現版 A・ギンズバーグ W・バロウズ著(河出文庫)/路上 J・ケルアック著(河出文庫)/ 裸のランチ W・バロウズ著 (河出書房新社)

それに続く重要な出来事として、1965年にアメリカの伝説的サイケデリック・ロックバンド『グレイトフル・デッド』がカルフォルニアで結成されます。

グレイトフル・デッドとは、ジェリー・ガルシアを中心とした5名〜7名で編成されたロックバンドで、カントリーやフォーク、ブルーグラス、ブルース、レゲエ、ロックンロール、即興のジャズを基盤に、当時まだ違法とされていなかったLSDという幻覚剤を使用したことで得るイマジネーションを受けて演奏されるサイケデリック・ミュージックやスペース・ロックの礎を築いたバンドです。

グレイトフル・デッドのライブ演奏とオーディエンスの様子が収められたライブ映像『Sunshine Daydream』

ライブ演奏は、ファンのことを第一に考えたパフォーマンスをモットーとし、曲順を決めずに、すべて即興で演奏を行なっていました。
全米にまたがるツアーでは、デッドヘッズと呼ばれる熱狂的なファンが、カラフルにペイントされた古いバスや、フォルクスワーゲンのバンに乗りながら一緒に移動していました。
まさに自由と平和を象徴する、草の根的な様式でファンを増やしたバンドなのです。


カラフルにペイントされたヒッピーバス、通称“マジック・バス”のイメージ
Phito by Jill Clardy


The Grateful Dead(1970年頃)

日本ではそれほど認知の無いバンドですが、現在のアメリカ本国では、ほとんどの人が知っている有名なバンドです。
Appleの創設者であるスティーブ・ジョブズや、第42代アメリカ合衆国大統領のビル・クリントン、ポップ・アーティストのキース・ヘリングもデッドヘッズとして有名です。

後にウッドストック以降、商業至上主義へと変貌した音楽ビジネスとは逆行し、ファンと共に楽しめるライブ演奏を続けることを追求したバンドは、レコードの売り上げこそアメリカの売り上げチャートの上位に食い込むことは、1987年までありませんでしたが、ライブの興行収益は常にトップランクインしていたことが、商業至上主義の対局にいたことを表しています。

そんなバンドのメンバーが、結成のころからヒッピーの聖地・ヘイトアシュベリー地区を中心に活動するようになり、フラワー・ムーブメントやヒッピーカルチャーがサンフランシスコを中心に成熟していったのです。

ヒッピーや当時の情勢、ミュージシャンの様子がわかる映像
 

サイケデリックポスター文化の誕生

グレイトフル・デッドは、当時サンフランシスコにあったライブハウス『フィルモア』を経営していたビル・グラハムというプロモーターに、バンド活動すべてのプロモーションとマネージメントを依頼します。

バンドは、グラハムによって考案されたPA(音響設備とそれを扱う技術)システムの導入や、ゲリラで即興演奏するなどの興行によって、独自のスタイルが確立されていきました。それは、当時は考えられないくらい革新的な方法であり、絶大な影響力があり、ファンが爆発的に増えた要因です。

1967年 サンフランシスコのゴールデン・ゲート・パークでのグレイトフル・デッドのライブ映像。ファッションからも、そのヒッピー文化との密接な関係性が感じられる。

そのビル・グラハムが、ライブイベントのプロモーション用に、ライブハウスのポスターの制作やTシャツを生産することも考案し、バンドに提案します。
それまでエアブラシを用いた作品でポップアートの巨匠と言われていたスタンリー・マウスは、ちょうどこのころにサンフランシスコへ流れ着いており、そこで出会った写真をメインにしたデザイナーのアルトン・ケリーと共に『ケリー・マウス・スタジオ』を設立します。そして、 グラハムの依頼でポスターやTシャツの制作を始めます。

また、サーフィン雑誌のイラストやコミックで名声をとどろかせていたリック・グリフィンも同じようにグレイトフル・デッドのアルバムジャケットやポスターの作成を依頼されます。彼らを含めた複数のアーティストが、サンフランシスコを中心に出会うことにより、サイケデリックポスターのデザインが生まれたのです。


リック・グリフィンと代表作 『The Grateful Dead AOXOMOXOA (1969年作品)』のアルバムジャケット(Amazon
サイケデリックなイメージと、コミカルなイラストが特徴


アルトン・ケリー(上)とスタンレー・マウス(下)と代表合作 『The Grateful Dead Skull & Roses (1971年作品)』のアルバムジャケット(Amazon
スカルとバラのモチーフは、グレイトフル・デッドの象徴的なイメージとなった

 

時代を象徴するポスター文化とバンドTシャツの黎明

サイケデリックポスターは、グラハムの経営する『フィルモア』や、同じくサンフランシスコにあった『アバロン・ボールルーム』などの、ロックの黄金時代の中心だった伝説のライブハウスのプロモーション用として、たくさんのデザインが世に送り出されています。

サイケデリック・ポスター・デザインをギャラリー形式で見ることができる映像

それまで情報を伝えることに特化したデザインが主流だったポスターは、そうではないサイケデリック体験をビジュアル化したような、色彩豊かで文字やイラストが全面を埋め尽くす、奇抜でアート性の高いデザインへと変わりました。
グレイトフル・デッドはもちろん、ジェファーソン・エアプレインジャニス・ジョップリンジミー・ヘンドリクスサンタナブルース・スプリングスティーンドアーズなど、当時を代表するバンドやミュージシャンのライブのポスターは、ほとんどがこのテイストで描かれています。
当時街頭に貼られたポスターは、ファンたちが剥がして持ち帰り、家に飾っていたという話もあり、現在ではその実物が2000ドル〜3000ドル以上の値段でオークションに出品されることもあります。
さらに、サンフランシスコ近代美術館に作品が常設されるなど、アメリカの美術史で“ポスター・アート・ムーブメント”と呼ばれるまでの地位を得たアート運動です。

そうしてサイケデリックポスター文化が拡散していくと同時に、もう一つの文化が芽を出します。
それは、バンドTシャツです。
グレイトフル・デッドのプロモーション用に、マウスやグリフィンのグラフィックを載せたTシャツは、“バンドTシャツ”としてデッドヘッズ達に浸透し始めました。
中にはタイダイと呼ばれる絞り染めによってカラフルに染色されたりしたものもあり、デッドヘッズ達が作成するブートレグのアイテムも含めて、独自の文化を発展させていき、今日まで続いています。
これには、デッドヘッズと呼ばれる熱狂的なファンの功績も大きかったのです。

それまでにも、ビートルズなどが、ファンへのノベルティとしてTシャツにロゴや写真をプリントした例はあったようですが、本格的にバンドのプロモーションとしてのTシャツが販売されたのは、これが初めてだったようです。


タイダイ染めのTシャツを着て、ステージの開演を待つデッドヘッズ達/レッド・ロックス・アンフィシアター/コロラド州デンバー 1987年頃(CC BY-SA 3.0)

グレイトフル・デッドのバンドTシャツのスライドショー。ドクロとバラのモチーフのデザインは、スタンリー・マウスが考案、ドクロの頭にイナズマが入ったデザインは、オウズリー・スタンリーとボブ・トーマスのデザインで、共にし、グレイトフル・デッドの象徴として、今日も多くのファンの支持を集めている。

今でこそ当たり前にたくさんの人が着ているバンドTシャツにも、このような斬新な時代背景があったことに、敬意を払います。そして、戦争や人種の問題を背景に発達した、自由や個性を求める価値観は、とても魅力的で刺激的であり、広がりのあるよい時代だったからこそ、現在まで残る文化の一端になっのだと感じるのです。
 

多様な発想とデザインの発展について

自由な発想や思想から新たなアートが生まれ、新しい価値観が若者を中心に発展していく様は、いつの時代も同じではないかと思います。もちろん現代にもそうしたものがたくさん芽生えており、もう少し自分が年を重ねると、客観的にそれらを観察できるようになるのではとも思えます。

よく、アートとデザインの違いについて議論されることがあります。
その定義についてをここでは語りませんが、どちらにも影響を受けたバックグラウンドと、いま生きている時代の影響から発信される経緯があると思います。
音楽やその他のクリエイションも一緒です。
だからこそ、自分がこれまで経験してきた物事を否定したり、ダサいと蓋をせずに、全てを許容しながら、全力でアウトプットすることにこそに価値があるのだと思います。
 

最後に

僕はここで紹介した時代に巻き起こったムーブメントやカルチャーへの興味がとまりません。
日本語訳されている文献や作品もごく一部です。
しかしながら、その上澄みを読みあさるだけでもワクワクがとまらないのです。

第二次世界大戦が終わり、世界は新たな時代を求めて進み始めました。
それから70年以上が経ち、今日僕らはこれほどまでに平和で豊かな生活を手に入れています。
世界ではテロや戦争、貧困などの問題は相変わらず続いていますが、ここ日本はそういったことに直接触れる機会も少なく、これほど平和な国は世界を見てもほとんどありません。
それを贅沢だとは思いませんが、恵まれていることは確かです。

インターネットの目紛しい普及により、情報の流れが異常なまでに加速しています。
それはそれで素晴らしいことですが、大量生産・大量消費の加速にも大きく貢献しています。
ブームやムーブメントは、短いと1年足らずで終わります。
そして、また新しいブームが始まります。それにあわせて、クリエイションもその時流にあわせながら形を変化させていきます。

それを悪いと否定するつもりは全くありません。
僕の好きなミュージシャンに『デュエイン・オールマン』というギターリストがいます。そのデュエインが、「革命 (revolution) なんてないよ、発展 (evolution) があるだけだ。だけどいつでもオレはジョージアにいて、平和のために桃を食べるのさ (I eat a peach for peace)。」と残した言葉があります。

その言葉を発した境遇については詳しくは分かりませんが、革命以上に発展というのはいつの時代でも不可欠なものとして許容していくべきだし、それがデザインのおもしろさの一端だとも思います。

情報伝達の速度ばかりは、社会に身を置く以上、個人単位ではコントロールができないものです。
だからこそ、1960年代アメリカのように、小さなムーブメントがじっくり時間をかけながら成熟し、20年〜30年以上をかけて大きなムーブメントとなり、今日まで大衆の価値観の中に存在していることがとても素晴らしく、羨ましい時代だと感じるのです。

僕も、かれこれ10年近くいくつかのバンドのポスターやCDアルバムのジャケット、イベントのポスターやTシャツのデザインを手がけてきました。
僕は僕の好きなものと今の時代の流れを感じながら、結果的な満足や、その過程と結果にある楽しさを求めて、これからもMacと本とレコードに向い続けることでしょう。

この投稿を書いた人

榛葉 真透

榛葉 真透(しんは まさゆき)デザイナー

Webデザイナー。20代は音楽イベント、料理、ファッションに没頭し、最近Webデザイナーとして本格的に動き出したばかり。温もりのあるモノやデザインが好き。アメリカを代表するサイケデリックロックバンドGrateful Deadに魅せられてから、カリフォルニアをはじめとするアメリカの音楽カルチャーが大好物。

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