2017年04月

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金曜日の投稿

永井 智子
投稿者:永井 智子
(取締役副社長)

2017年04月07日

副社長・永井智子の
サテライトオフィス生活はじまりました

仕事と暮らし・周防大島

永井 智子
投稿者:永井 智子(取締役副社長)

副社長の永井です。

モノサスは、これまでタイ・大阪・徳島県神山町と、東京(代々木)ふくめ4拠点に活動範囲を増やしてきました。それは、広げること、増やすことを目的としたわけではなく、それぞれの拠点ごとに違った個人の「思い」がスタートにあり、その時々ベストと思って選択してきた結果として、今のモノサスの形になっています。

そしてこのたび、5つ目の思いがあり、5つ目の拠点として、「周防大島(すおうおおしま)サテライトオフィス」を開設する運びになりました。
 

ところで、周防大島ってどこですか…?

多くの人にとって初めて聞く地名かもしれない周防大島。
それは、山口県の東南エリア、広島県にも近い瀬戸内海にある島です。「島」といっても本州とは約1kmの橋でつながれて、島内まで車で移動をすることができます。

瀬戸内海では淡路島、小豆島に次ぐ3番目に大きい島。Googleマップでは正式名称の「屋代島」と表記されています。地元では、「大島」、または日本全国に数ある別の「大島」と区別して「周防大島」と呼んでいます。余談ですが、日本には、ほんとうに大きめの「大島」から小さな無人島の「大島」まで、全国になんと75個もの「大島」があるそうです。

行政区画としては、メインとなる「周防大島」と、そこからさらに橋や船で渡る離島のいくつかで、1つの町「周防大島町」を構成しており、人口は17,199人(平成27年10月1日現在)とのことです。関東圏で有名な「大島」である「伊豆大島」の人口が約8千人なので、なんとその倍以上。「島」ということばからは、隔絶された土地の印象を受けるかもしれませんが、意外にたくさんの人たちの生活拠点となっています。また、土日を中心に、広島や福岡からの日帰り観光地・海水浴場としてもにぎわっています。

そして平成24年、島から車で1時間ほどの岩国空港が開港してから、東京との距離も一気に縮まりました。朝、周防大島の家を出て、東京(代々木)のモノサスへ、最短で10:30には到着できるほどの便利さです。
 

周防大島サテライトオフィス開設を決めるまで

ちょっと昔話にお付き合いください。

「何故Webの仕事をしたいと思ったのですか?」
これは、私がはじめてWeb業界に転職したときの、就職面接での質問です。
その時の答えを、今もはっきり覚えています。

「私は、ずっと仕事がしたい。たとえば子どもを産むことになったとしても、Webの仕事なら続けられると思ったからです。」

そんな私は結局、それからの約20年間、子どもを産む機会に巡り合わずに今に至っているし、Web業界の中での職種としてはディレクターやマネージャー、たまに営業を続けました。東京の、それも渋谷か六本木周辺限定でしか成り立ちづらい仕事をしている間に、世の中は、どんどん「場所に影響しないで仕事ができる環境」の準備が整っていたのです。

回線の通信速度は、静止画像すらカクカクと表示される「kbps」時代から、田舎の片隅まで100Mbps回線が引けるように。TV電話システムは、何百万円もする大企業だけのものから、ハングアウトやSkypeなどで誰でも無料で常時接続できるように。メッセンジャーやLINEは、時差があるなど電話や会う時間の調整がつきづらい多忙で優秀な人たちと、むしろ確実にコミュニケーションが取れるツールになりました。

私自身も、会社が神山やタイ、大阪、そして協力会社の大連(中国)やハノイ(ベトナム)などとお仕事を進める中で、その環境の恩恵を確実に実感するようになりました。
一方で、「場所に依存しない仕事の仕方」を切実に求める人も増え続けています。

モノサスでも、家庭との両立のため、時短で働いていたり、育休を取って戻ってきてくれたりするスタッフが少しずつ出始めています。Web業界が、20代という自分の自由だけで思いっきり働ける世代だけのものではなく、子育てをはじめたり、そろそろ親の介護を現実問題として考え始めたりする30代、40代も増えてきています。
そんな時、家から遠い職場まで通うのが困難になることは明らかでしょう。

また、家族の問題だけではなく、自分自身で、これまでとは違った生き方の選択をする人も増えています。モノサスの身近な例では、タイという異文化の中で、自分の「当たり前」と思っていたことを改めて自分に問い直す人もいるし、神山という、生きる知恵と人間関係が都会よりも大事になる場所で、東京では体験したことのない生活を実感している人もいます。
それらも、東京で働いて生活しているままだったら、多分気づくきっかけのなかった生き方だと思います。

そして、私自身にも個人的な事情がありました。
配偶者の生き方の転機。母親の老後の過ごし方について。両親の実家である周防大島の土地や家、お墓の処遇など。そして、一方で、20年前の転職の時の考えを思い出しました。

「私は、ずっと仕事がしたい。たとえば子どもを産むことになったとしても、Webの仕事は続けられると思ったからです。」

私が約10年間で培ってきたスキルを、10年かけてモノサスという組織に引き継ぎきりつつある今、いわゆる定年年齢まで、これまでの社会人生活と同じくらいの長さの約20年、これからの私はモノサスで何の貢献をするのだろうかという問い。

当時より格段に整備されてきた外部環境、そして働き方を模索しているモノサスという会社。そんな中、子どもを産むというタイミングではなかったけれど、仕事を続けるための方法、さらに自分の仕事の価値を高める方法を考え、まわりと相談し、受け入れてもらっての移住・サテライトオフィス開設の運びとなりました。

東京から離れていることを、どれくらいのデメリットに抑えられるのか、さらに、遠い場所、異なる環境に同じ会社の仲間がいるということがどういうメリットを生み出すのか、そんな実験場としてのサテライトオフィスになる予定です。
 

周防大島でどんな風に働いていくのか

最初は1人勤務ではありますが、会社としては神山に次ぐ「サテライトオフィス」としてスタートしました。


サテライトオフィスを開設するのは、周防大島の地家室(じかむろ)という地区。海と山とにはさまれた小さな集落です。全盛期は2000人以上が生活していたこともあるそうですが、現在住んでいるのはモノサスの全スタッフよりも少ない70人弱。周防大島町内でも、地家室に引っ越したというと「あんな過疎地中の過疎地にねー」と驚かれます。

当面は、月に1,2回、トータルで4~7日程度、東京(代々木)に出勤予定で、それ以外の日は周防大島サテライトオフィスで働きます。

通信環境がどんなに便利になっても、「顔を合わせるほうがいい仕事」がなくなるとは、今は思っていません。スタッフ全員が顔を合わせる全体会議や、それぞれのビジネスの将来の方針を話しあう会議、仕事と言えるかあいまいですが、一緒に仕事をする仲間どうしで楽しい時間を共有するランチや飲み会は、TV電話で代用というわけにはいかないでしょう。

ただ、「打ち合わせ」の中でも、事実を伝え合うことが主な目的の、報告や進捗確認会議などはTV電話でも支障ないでしょうし、「自分だけの作業、自分で考えをまとめること」は、むしろ離れて集中できることで、生産性が上がったり、同じ環境にいる中からは生まれないような新しい考え方にたどり着けることがあるのではないかと考えています。

もちろん、今はまだどれも机上の空論。支障や改善の可能性があれば、随時変更しながら、東京やほかの拠点とも協調しつつ、新しいモデルとなるよう働きかたを模索してきたいと考えています。

人生にとって、働く時間は、長くて大事な時間。
そして、それと同じくらい、働く以外も大事な時間。

どちらも大事にできるような、そして周りからも認められ、それを尊重してもらえるような、そんな働き方を目指したいと思います。

この投稿を書いた人

永井 智子

永井 智子(ながい ともこ)取締役副社長

モノサスの取締役副社長です。東京タワーの見える家に憧れ、川崎から、国分寺、本郷を経て目黒までたどり着いたはずが、ひょんなことから山口県に住むことになりました。人生何が起きるかわからない、だけどどこもが住めば都。 「どう生きるか」から仕事や住む場所を選ぶのもいいけれど、今いるところを居場所と決めて、生き方、考え方、性格だって変えていってもいいんじゃない?

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