2016年07月

28

木曜日の投稿

ものさす編集部
投稿者:ものさす編集部

2016年07月28日

45歳の男が夢を語ると嫌われるかもしれない。でも、僕は今日も本気で撮ります。
interview カメラマン・阿部昌也さん

めぐるモノサシ

ものさす編集部
投稿者:ものさす編集部

今回、登場していただくのはカメラマンの阿部昌也(あべ・まさや)さん。23歳からフリーとして活動する阿部さんは、紙媒体、Web媒体問わず、自動車やフードといった物撮り、人物ポートレート、風景写真まで、マルチに撮影するカメラマンです。
モノサスとは、お仕事上のつながりの他、モノサスカメラ講座の講師も務めてくださるなど、深いかかわりがあります。

阿部さんとの出会いは、8年ほど前、私が前職の広告制作会社で自動車メーカーのオーナー向け雑誌の制作を担当していたとき。様々な外部のパートナーの協力のもとにチームが編成されていたのですが、当時の編集長の紹介で...
と、書き出すとすごく長くなりそうなので、そのあたりは以下に続く阿部さんのインタビューを読んでいただければと思います。(笑)

8年経った今でも、私が現在担当している Google の様々な案件で撮影をお願いしており、本当にお世話になりっぱなしです(クライアントの評判も上々)。とにかく撮影の案件相談が入ったときは、マッハで Facebook メッセンジャーで阿部さんに「できますか?」と相談し、そしていつもマッハで「やりましょう!」と返信してくれる。なんとも心強いのです。


突如降ってきた撮影案件の相談も、頼もしく受け止めてくれる!

今回、この「めぐるモノサシ」のインタビューをするにあたって、阿部さんとの仕事で一番思い出深いエピソードはなんだろう...と思い返していました。
前職時代のハードなロケ(熊本日帰り撮影とか、いろいろ)のような KNF(キツい、眠い、風呂入りたい)な仕事も今となっては良い思い出。けれども一番「嬉しかった」のは、昨年秋に開催した Google イノベーション東北のイベント INTERNET FOR LOCAL DAY での撮影です。


地域で活躍する様々なゲストを招き、「インターネットでみんなが地域にできること」をテーマに参加者も巻き込んで白熱した議論が展開した INTERNET for LOCAL DAY。会場にうずまく熱気を阿部さんがばっちり捉えてくれた。

終日のイベント撮影という長丁場の現場だったのですが、確か前半を終えたタイミングで、阿部さんに「どうですか?」と聞いてみました。僕としては撮影の調子はどうですか、という意味だったのですが、阿部さんからは興奮気味の表情で予想外の一言。

「いやあ、僕自身がすごく学ばせてもらっています...!」

この阿部さんの一言を聞いて、思わずうるっ、となりました。撮影対象であるイベントの登壇者、参加者、その空間で起こっていることに共感し、没入し、そして記録写真に残す。決して惰性では撮らない。我々企画側、そして参加者側の視点になる、つまり、ひとつになろうとしてくれる。なんというか、この一言に、阿部昌也という仕事人の心意気を感じました。同時に、阿部さんに撮ってもらって本当によかった、この現場を共有できる関係性を阿部さんと持てていてよかったと心底思ったんです。単なる発注側、受注側の関係じゃないんですよね、もはや。

そんな阿部さんと、前職時代のとあるロケ帰りにたこ焼き話で盛り上がり(阿部さんは関西出身)、粉ものホームパーティーをやろう!と約束して早ウン年。ついにこのインタビューで実現することになりました!それが一番うれしいかも。(笑)

(モノサス 山内 真)
 

状況に応じて結果を残していく
環境を言い訳にする人間にはなりたくない

阿部さんとモノサス山内真の出会いは、山内が前職で自動車会社の広報誌を制作していた時代にさかのぼります。愛車とオーナーをワンショットに収め、そこからクルマと人の物語を匂わせるカットの撮影。ライターも含めた3人で、日本各地を回っていたそうです。

「シンさんとのあのオーナーマガジンの仕事は、どの撮影も思い出深くて、思い入れがあるかな。でも、ぱっと聞かれて思い出すのは、SUVのオーナーさんだな」

栃木に住む撮り鉄のオーナーが選んだのは、悪路をものともせず、機材も豊富に積み込めるSUV。その組み合わせが映えるよう、オーナーさんがいつも鉄道を撮っているスポットでの撮影となりました。

「オーナーさんが鉄道にカメラを向け、その背後の河原に停めたクルマが写り込むワンショットを撮ろうとしたんだけど。走ってきた機関車を捉えるため、オーナーさんがどんどん川に入って行っちゃって(笑)。
そうなったら、こっちもベストアングルを捕まえるには川に入らないと撮れないわけ。ちょうど暖かい季節だったから、“脱げばいいだけか”って、パンツ一丁になってざぶざぶ入って撮ったんだよね。あれから6年?7年?くらい経っているけど、今もあのオーナーさんとは年賀状のやり取りをしているよ」

こうした外での撮影というのは、旅行のスナップとは違い、撮れば使えるわけではありません。被写体となるのは、プロに撮られた経験のない一般の方々。ロケーションも自宅の前の庭や車庫など、写真映えする背景とはいきません。
そんな条件の下で、阿部さんは毎回、オーナーとクルマを魅力的に見せ、その関係が伝わるショットを上げてくれたそうです。

「外での撮影では環境が整っているとは限らず、現場に着くまで状況はわからない。天気、時間、モデルとなる人のコンディション、ロケーションなど、こちらで決められる要素は少なく、そこにある条件で撮るしかない。その中で言い訳せずに結果を残すことを心がけているかな」


仕事で訪れた南アフリカケープタウンにて。仕事以外で撮るスナップも、仕事に活かされているとのこと。

レンズを向けられ、緊張する老若男女に「俳優になった気分で」「一生残るから、すごくいい1枚を撮りましょう」など、真剣かつテンポよく話しかけ、気持ちを盛り上げ、最高の表情を引き出していく。
限られた時間と場所の制約の中でロケハンを行い、最も物語が生まれそうなシチュエーションを見極めてしまう。
撮られる人が撮られることを楽しめる空気を作り出すこと。
撮影のうまさとは、カメラそのものを扱う技術だけでは語れない。阿部さんと現場を共にするディレクターや編集者は、改めてそんなことに気づかされるのです。

「僕は環境のせい、もののせいにするような人間になりたくないし、プロである以上、どんな現場であろうと結果を出さなければいけない。
シンさんを含めて、“阿部は動きがいい”と言ってくれる人がいるのは、たぶん、結果を出そう、良い画を残そうと毎日、一所懸命になっているからじゃないかな。

そして、作品を作るチームの一員として、その姿勢を理解してもらえるか、もらえないか。これは一緒に仕事をしていく上で、すごく大事なところ。

例えば、撮る相手のことを考え、撮影前のロケハンに時間をかける。それを“手間をかけ過ぎだ”と見る人もいるけど、なぜ、その手間が必要なのかを考えてくれる人もいる。チームを組むなら、後者の人と一緒にやりたいよね」


車の写真を多く撮影されてきた阿部さんは、ご自身もサーキットでレースに出られるほどのカーマニア。仕事部屋にはモデルカーがずらりと並び、数々の車のイラストも飾られている。

1枚の写真に賭けていく信念は今も昔も変わらない。
ただ、その思いは最近さらに強くなっている。

山内がモノサスに入社し、丸1年たった頃、扱う案件のクリエイティブの幅も広がり、外部のカメラマンに撮影を依頼するプロジェクトが増えてきます。

「最初に声をかけてもらったのは、東京工業大学のサイトのリニューアルで、理事長さんのポートレート撮影だったと思う。神妙な顔をしたシンさんから“モノサスさんとしても大きな案件で、デザイン、内容はもちろん、写真がすごく大事なんです”と聞かされて、いつも以上に気合いが入ったのを覚えている。
だって、前の会社を辞めたところで終わる付き合いも多いなかで、また“阿部昌也に撮ってもらいたい”と思ってもらえたうれしさがあったから。それに応えたいという気持ちが強かった」

大事な案件ではあったものの、潤沢な予算があったわけではなく、依頼した山内にはどこか申し訳なさがあったという。

「実際、“予算がないんだけど……”と言われる案件は増えているよ。でも、“予算ないのか”と落ち込んでいたら、この世の中、お先真っ暗だと思う。また、同じ“予算がない”にも2つあってね。1つは“予算がないから、これでお願いします”で、もう1つは“予算は少ないけど、阿部さんに撮ってもらいたい”。
もし、後者の考えからの依頼を『そのギャラではできません』と断り、お金を追いかけていたら、いい写真は撮れないと思う。僕はなによりもまず、自分が撮った写真を被写体となってくれた人、発注してくれた人に、気に入ってもらいたい。

結局、いい写真が残せたら、次もまた絶対に声をかけてもらえるし、つながりは広がっていくと思っているから。」

そう話す阿部さんが長年、現場に身を置き、ここ数年強く感じるようになった違和感、危機感があると言います。

「写真を撮影するということに対して、制作会社もクライアントもあまりに軽薄になってきたかなと思っている。軽薄が悪い言葉だとすると、写真が身近になったと言い換えることもできるかな。

プリクラが流行って定着して、一般の人が自撮りを好きになり、スマホが普及して、撮るのも撮られるのも日常的になったよね。それはカメラマンとしてうれしいことだけど、一方、制作の現場でも写真はどこか軽く扱われるようになっている。

例えば、二次使用に関して『あの時撮ったのがあるんだから、ちょうだいよ』と平気で言われることが増えてきた。予算がないから使いまわしたい。もうあるモノだから無料で使いたい。お金を追いかけるとそういう結論になるのはわかるけど、このままだと確実にカメラマンが生業としてしんどくなっていくのかな、と思う」


撮った写真を補正する仕事風景。机の下には愛猫の特等席が。ブラインドの向こうには緑の風景が広がり、リラックスしながら仕事ができるとのこと。

これは何も“写真”だけに限ったことではなく、クリエイティブ全体に当てはまる問題です。その中で違いを出し、価値を認めてもらうには、どうすればいいのか。阿部さんはこう考えていました。

「予算がない。じゃあ、自分たちで撮ろう。ありモノを使おう。これは自然の摂理で逆らえない話。そこで、予算を割いてでも、俺に写真を撮らせてよ! 撮らせないのかよ! と言っていても、先はないと思う。
僕が目指しているところは、“阿部にしか撮れないね”って言ってもらえる写真家になること。コストの競争とは異なるところで勝負していきたい。
そのためには、1つの現場でのこの1枚の写真をいかに大事に撮るか。雑誌だったら、『見開きはこの1枚にします』と言わせる1枚。シンさんとやっていた広報誌で言えば、1カットでクルマとオーナーさんの物語を表現すること。
1枚の写真に込める思いに集中することが正しい気がしているし、そこに賭けていくんだって信念は今も昔も変わらない。ただ、その思いは最近、さらに強くなっているね」


南アフリカ 喜望峰にて撮影


家族のようなつながりを大切に、
ますます大きくなっていきたい。


「粉物パーティーしましょう!」という山内との数年来の約束を果たすべく、インタビュー中にたこ焼きふるまう阿部さん

撮影時と変わらぬ熱いテンションでインタビューに応えてくれた阿部さんにとって、モノサスはどんな存在なのでしょう?

「たくさんの制作の会社がある中で、唯一、気をつかわない会社かな。気をつかわないの“気”は、ヘンな気という意味ね。より家族っぽい感じ。僕はあくまでも外注で、そこのところの距離感は大事にしなくちゃいけないし、勘違いすると本当にダメになっちゃうんだけど。本当に家族のような気持ちで、一緒に仕事をしている感覚。
例えば、東工大の案件にしても写真の上がりが悪かったら、家族に迷惑がかかるという気持ちになる。それはシンさんに対しても、中庭さんに対しても、他の人に対しても同じで。すごくやりやすいし、モノサスさんが家族として僕を受け入れ、守ってくれている感じもしている」

最後に、カメラマン阿部昌也の今後について聞きました。

「今年45歳になる男が夢を語ると嫌われるかもしれないけど、僕、男も女も夢を持っていないとダメだと思っている。カメラマンはたくさんいるけど、阿部昌也ってカメラマンは俺ひとりしかいない。そこを理解してくれる人を増やし、阿部にしか撮れないねって言ってもらえる写真家になること。それが1つの夢だし、目標で、そうならないと生きていけないと思っている。
そのためにも、もっと大きくなりたい。

人は歳をとると周りから『丸くなったね』と言われがちだけど、あの言い回しの世間一般での使い方は、ゴツゴツしていたでっかい塊から角が取れて丸くなるようなイメージだと思う。だけど、それだと体積として小さい球になっていくよね。

僕は、ゴツゴツした角を削って小さくするんじゃなく、角と角の隙間を知恵と経験で盛っていき、球体として大きくなっていきたい。例えば、1年前に撮った写真を見て、“あのとき、がんばったな”、“最善尽くしたよな”で終わるのではなく、“もっとこうできたな”、“今ならこうする”と思えるかどうか。現場現場で常に最善は尽くしているけれど、今はもっといい最善を尽くせる、と。そうやって自分の器を打破しないと大きくはなれないでしょう。常に、もっといいものが撮れるはずだっていう思いを大事にしているかな」

どんなオファーでも、どんな撮影環境でも、いつも同じ目線で物事を捉えようとし、ベストを尽くしていく姿勢。プロフェッショナルとしての心意気を存分に語ってくださった阿部さん。うれしいことにモノサスとの関係性について、「家族」と表現してくださいました。
その真剣な仕事への取り組み方は、ともに歩む家族にも充実した楽しさといい緊張感を与え、だからこそ現場を重ねるごとにチーム感が増していきます。
今後も刺激し合いながら、多くの時間を過ごしていきたいと感じました。


2016年7月、ヨルダンにて。旅の撮影依頼も多く、世界各国を巡っている。


阿部昌也さんプロフィール
1971年兵庫県生まれ。 父親の影響で小さな頃からカメラをいじり、14歳の時に縁があって、ニコンを世界に知らしめたミスターニコンこと三木 淳氏と出会い、導かれてプロを志す。 1990年に上京し、2年後に勤めていたスタジオを辞め憧れのニューヨークに向かう。実質そこからフリーランス。しかし阪神大震災などもあって、ニューヨークを断念し再び96年に上京して現在に至る。
http://www.abemasaya.com/

(インタビュー構成:佐口賢作)

この投稿を書いた人

ものさす編集部

ものさす編集部(ものさすへんしゅうぶ)

ものさすサイト編集部です。メインは3名。「正直な今」を伝えるべく、日々ネタを求めてアンテナ発動中。たのしそうな気配を感じたら、どこでも飛んでいきます!

ものさす編集部が書いた他の記事を見る