2017年09月

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火曜日の投稿

ものさす編集部
投稿者:ものさす編集部

2017年09月26日

音楽、ゲーム、サブカルチャー、アート...。
デザイン、プログラムの枠を超え、
やってきた仕事の謎を解くのがおもしろい。
~interview 林洋介さん(インタラクションデザイナー)~

めぐるモノサシ

ものさす編集部
投稿者:ものさす編集部

今回のゲストは、現在、モノサスのメンバーとともに、Googleの地図サービスを使って多くの人を支援するプログラム Google Earth Outreach に携わっている林洋介さん。聞き手は、以前林さんと同じ職場で仕事をした経験をもつ、モノサスのプロデュース部のプランナー、山内が務めます。

サブカルチャーや現代美術、または Web広告や地域支援の活動など、幅広い分野で才能を発揮する林さんのルーツやポリシーとは? また、今後のビジョンについても伺います。
(インタビュー構成:田中 亜希)

林 洋介さんプロフィール
情報科学芸術大学院大学(IAMAS)を卒業後、株式会社モードツーに入社。その後、株式会社ドワンゴや株式会社スクウェア・エニックスを経て、現在はフリーランスで活動中。UIデザインとプログラミングを中心にインタラクティブなコンテンツの開発に携わっている。


やりたいことはインタラクティブなものをつくること。
デザイナー、プログラマーの領域を超えて。

山内
洋介くんとモノサスの仕事を一緒にやり始めて、2年ぐらい経つよね。モノサスの雰囲気はどうですか?

林さん(以下、敬称略)  みなさん、超いい人です(笑)。仕事がすごくやりやすいし、仕事だけでなく私用や社内のイベントをやるときも、みなさん工程表を組むことから始めますよね。いつも本気なところも素晴らしいと思います。

山内 
たしかに、イベント会社みたいな面はある(笑)。洋介くんとは、僕自身が7年前まで在籍していた広告制作会社という会社で仕事をしたことがあって、今はモノサスで Googleの案件に携わっているわけで......。あらためて、いつもありがとう!

 
いえいえ、そんな。こちらこそお世話になっています。

山内 
Googleのプロジェクトは、洋介くんには初めは『イノベーション東北』のサポーターとしていろいろなプロジェクトに入って、アプリを作ってもらったんだよね。

林 
そうです。それで、LPページのコーディングを担当するうちに定期的に関わるようになって、そのうち技術部担当みたいな立場です(笑)。

山内
そうそう。NPO法人や教育者、研究者の方々に向けて、Googleの地図サービスを使って彼らの活動を支援するプログラムもあって、そこでは、テクニカル面に強い洋介くんがワークショップでの講師も担当してくれているんだよね。そう考えると、洋介くんって、デザインもプログラムもワークショップの講師もできるわけだけど、自分で肩書を名乗るときは何と言っているの?

林 
うーん。人に合わせて変えています。求められることによって「○○担当です」と答える感じですね。基本的に、自分のやりたいことは、サイトやアプリ問わずインタラクティブなものをつくる作業なんです。自分が考えたデザインやアプリを人が使って、反応を見るのが好きだし、やりがいを感じますね。

山内 
もともと、10代の頃からからデザインやプログラミングに興味があったの?

 
いや、地元の滋賀県にいる間は、その世界のことを全然知りませんでした。音楽が好きで自分で曲を作ったりはしていましたけど、普通科でダラダラと過ごして、3年の進路を決めなきゃいけないタイミングになっても将来に対するビジョンは特になく(笑)。音楽と何か関わりのあるものはないかなと担任に相談したところ、芸術工学系の学部を教えてくれたんです。それから美術の先生にメディアアートや現代美術の存在を教わりました。

山内 
メディアアートは、当時はまだ一般的じゃなかったよね。ということは、その先生はアートにとても詳しい人だったのかな。

 
どうなんでしょう。今思うとあんまりそんな感じはしませんね。ただ、インターネットも今ほど普及していなかった時代に、ネットで見つけたゲームのドット絵と日本人的な物の見方に関する記事をフロッピーディスクに入れてくれたりして、刺激を受けました。それで現代美術にのめり込んで、希望の美大を受けたところ一次には通ったんですけど、二次には落ちたんです。でも、こんなに簡単に一次を通るのであれば、浪人すれば難なく行けるんじゃないかという軽いノリで(笑)、高校卒業後は東京にある美術予備校に進みました。
 

美術系の予備校を経て IAMAS に入学。
さまざまな個性をもつ人の在り方に刺激を受けた。

山内 
滋賀県から上京して、東京カルチャーに触れまくったわけだね。

 
そうそう。予備校にはサブカルチャーに詳しい人がたくさんいて、自分はめちゃくちゃださいんだなと思いました。高校時代は勉強と部活が中心だったし、趣味が合う人があまり周りにいなかった。でも、予備校で出会った友人とは好きなものについて思いっきり語り合えたので、一気に電子音楽や現代美術に傾倒して、クラブやギャラリーに行くようになりました。

山内 
楽しんでたんだね〜!

 
あの時代は遊びを満喫しましたね。結局予備校には2年通って、最終的には、岐阜県大垣市にある情報科学芸術大学院大学(通称「 IAMAS 」)を友達が教えてくれて、受験しました。IAMAS は、地元の隣の県にあるにも関わらずまったく存在を知らなかったのですが、当時電子音楽で流行していたMax/MSPというプログラミング環境で日本の第一人者的存在の教授がいたり、スタジオもあるということで、音楽系のコースに入学しました。

山内 
いざ入学してみて、IAMASの雰囲気はどうだった?

 
今のIAMASは大学院大学になっていますけど、当時は専門学校と大学院のふたつが存在するという不思議な構成で。最初は専門学校のほうに入学しました。そしたら、そこには高卒もいれば社会人経験者もいて、コンピュータがほとんど使えない人や、彫刻を作っている人、とにかくずっと写真を撮り続ける人もいました。Rhizomatiksの真鍋大度さんが同じコースの1年先輩だったり、結構むちゃくちゃな個性の人が集まっていておもしろかったです (笑)。

山内 
芸大の先端*みたいな雰囲気だったんだね。
*東京藝術大学にある美術学部 先端芸術表現科のこと

 
そうかもしれないですね。授業も座学はあんまりなくて、ゼミが中心。先生と生徒たちで、それぞれ興味をもっていることを話したり、制作で行き詰っていることを相談したり。みんなでひたすらディスカッションしたり。それから、学校の校舎は24時間空いていたので、みんなでずっと入り浸って遊んだり作品を作ったりしていましたね。小さいコミュニティで学科も年齢も関係なかったので、高卒で入った人にプログラミングを教えてもらったり、デザイナーとして働いていた人に入稿方法を教わったり...。そういう環境に長く身を置いて、さまざまなタイプの人の在り方に刺激を受けました。


林さんのIAMAS卒業制作。文字を波形に変換する音楽ソフトウェア。

山内 
IAMASでの経験は、洋介くんにかなりの影響を与えたんだろうなあ。在学中は、将来どういう道に進もうかと考えることはあったの?

 
いや、全然なくて(笑)。IAMASで教えてくれていたイギリス人の先生が京都でデザイン会社をもっていて、在学中から手伝っていたので、そのままそこに行こうかなと漠然と思っていました。そしたら、ちょうどその頃、思わぬ出会いがありまして......。

山内 
僕も勤めていた広告制作会社のメンバーと、ネットを通して知り合ったんだよね。

 
そうです。石橋剛さんです。当時、石橋さんが運営している個人サイトに僕はよくアクセスしていたんです。サイトのデザインもシンプルだけど洒落が効いていて、僕の好きなジャンルの音楽を紹介していたので、参考にしていました。
 

ツイッターでの出会いをきっかけに再度上京。
自分の引き出しを増やす大切さを学ぶ。

山内 
その頃はネットをかなり見ていたの?

 
はい、まさにネット漬け (笑)。それでツイッターが始まった頃に自分も投稿するようになって、石橋さんとつながったんです。そして僕が「就職どうすっかな」とつぶやいたら、僕の活動を何となく知ってくれていた石橋さんから「東京来る?席空けとくよ」とリプライがあって。
その後、学校の展示をきっかけに東京に行くタイミングがあったので、そのままその会社に行ったら、その場でさっそく課題を出されたんです。テーマは「ゴミ」でした。

山内 
ゴミ⁉

 
はい。いろんな地域の原住民はゴミから情報を得て、獲物の居場所を察知するという説明があったうえで、「ネット上のゴミのようなものを使って作品を作ってみて」と。それで、僕はいろいろな Webサイトに使われている小さな画像だけを抜き出して、それを Webページ上でアニメーションのようにバウンドさせる作品を作りました。その出来がよかったかどうかについては特に何も言われず「おもしろいね」「じゃあ、来る?」と。言われるままに上京しました(笑)。


Web上の「ゴミ」から作品を作る課題の実験段階のもの

山内 
おもしろい!それで、最初どういう業務を担当したんだっけ?

 
ある会社の社内ポータルサイトやアイドルグループのポスター、携帯電話のプロモーションサイトなど、ジャンルや分野を問わず、さまざまなものをデザインしました。広告の仕事が多く、その点も業界人っぽくて嬉しかったですね(笑)。会社に入るまでは、自分ひとりでWebサイト作りをしていたんです。独学で、構成を考えてデザインしてプログラミングしていたので、仕事で広告のサイト作りに関わったときは、こんなにたくさんの人が関わっているんだ!と衝撃を受けました。

山内 
思わぬ形で入社したわけだけど、学んだことは多かったみたいだね。

 
たくさんあります。個性を出すというよりは、どんなことを求められても応えられるよう、自分自身の引き出しと手数を増やすこと。学生のときは作家性が大事だと思っていましたが、そうじゃないうまさもあることを知りました。
それから、現代美術やメディアアートに詳しい人たちが多かったので、自主プロジェクトとしてサイトを作ったりアプリを作ったり。僕はクロアチアで開催された展示に参加したことがあるのですが、そのときはみんなが旅費をカンパしてくれたんです。個人活動をおもしろがってくれる雰囲気も好きでした。仕事とプライベートを同時に楽しむ文化を学びましたね。

このときの主要メンバーのひとりには、真鍋さん(現プロデュース部部長)がいました。そう考えると、今、モノサスさんとご一緒するときも、仕事以外の私用やイベントごとに本気で取り組みますよね。この「よくわからないけどとりあえずやってみよう」という文化は、最初に真鍋さんと出会ったときから変わっていなくて、現在もモノサスさんと共有できている気がします。

山内 
結局何年ぐらい在籍したんだっけ? 

 
3年目に退社したことになります。ひと通りデザインや広告の仕事、サイトのコーディングなどを経験させてもらって、無謀にも「自分はひとりでもやっていけるんじゃないか」と思い、いったんはフリーランスになりました。

そのときに声をかけて下さったのは、僕のやっていることを何となくご存知だった、編集者でゲームデザイナーでもある伊藤ガビンさん。ガビンさんはボストークという会社を作っていて、ボストークにはグラフィックデザイナーや映像作家、漫画家、編集者、プログラマーとか、いろいろな職種のフリーランスが集まってくるんです。
そこでいくつか仕事をさせてもらっているうちに、今度は自主活動で知り合ったドワンゴの友達が誘ってくれて、フラッシュのデザイナー兼プログラマーとしてドワンゴに入社しました。テスト駆動開発、スクラムや振り返りなど、Webサービスを安定して運用するための開発手法をあの当時に体験できたのは大きかったです
 

仕事のたびにおもしろいことに出会い、
そこでの謎を解くうちに現在に至る。

山内 
その2年後ぐらいに、今度はゲーム制作の職に転職するんだよね?

 
そうなんです。それまでずっと人に誘っていただいて仕事をしていたので、自分の力だけで就職活動をしたいと思い、スクウェア・エニックスを受けて契約社員になりました。ゲーム制作はかなりの分業制で、僕が担当したのは有名な某RPGのUIデザイン。まずはUIプランナーが画面の大枠の構成を考えるのですが、それを絵に起こし、素材を切り出してプログラマーに渡すことが僕の仕事でした。素材だけで膨大な数になるので、その管理方法や、作業を自動化するためのスクリプトなどを書いていました

山内 
工場の作業にたとえると、ネジを作るためのラインをひとつ作るような、それほど細分化された作業だったんだね。

 
まさにそうです。ラインがないままにデザイナーがひとつひとつ手で行うとすごい数の作業になるので、プログラムによる効率化が絶対必要なんです。この仕事を通じて、「僕がやりたいのはこういうことかも」と気づきました。従来なら大変過ぎてあきらめていたことや、時間や根性が必要な部分を技術で解決して、人がより本質的な作業に集中できる仕組みを作りたいんです。

スクウェア・エニックスでゲームの仕事に触れたあとは、再度フリーランスに戻りました。そのあたりから始まったモノサスさんとの Googleのイノベーション東北のプロジェクトは、自分がやりたかったことにとても近いですね。地域の人たちの課題とテクノロジーをどう結び付けるか。エンジニアなら意外と簡単に解決できる問題で悩んでいたりするので、マッチングさえできれば、どんどん世の中がよくなっていくんじゃないかと思います。

山内 
こうやって洋介くんの経歴を聞いていると、高校のとき将来のことを何も考えていなかった人とは思えないね(笑)。それほど、さまざまな仕事に真剣に柔軟に取り組んでいて、すごいなあ。

 
いや、相変わらず何も考えていないんですけどね(笑)。単純に仕事をもらって、調べていくうちにおもしろいことや知らなかった世界が見つかるので、その謎を解いていくうちに現在に至るという感じです。

山内 
もともと興味が強かったサブカルチャーやアート方面の仕事はしているの?

 
現代美術家の友達のプロジェクトを手伝うことがあります。たとえば、『六本木クロッシング2016』に出品した、山城大督さんの『TALKING LIGHTS / トーキング・ライツ』という作品ではビジュアルプログラミングを担当しました。それから、これも山城さんのプロジェクトですがは、群馬県にあるアーツ前橋という美術館で使える、鑑賞サポートツール『 folks(フォークス)』を作りました。ワークショップに参加してくれた方々と内容や展示方法を考えて、僕は実装を担当しましたね。


群馬県にある美術館「アーツ前橋」の鑑賞サポートツール「folks」


「folks」は鑑賞をサポートするだけでなく、質問に答えたり、ツールを動かしたりしてアートを楽しむ準備体操ができます

山内 
おもしろそうな依頼であれば、どういう分野の仕事も引き受けるスタンスなの?

 
そうですね。ただ、仕事の内容よりも、人で決める部分が大きいかもしれません。この人と一緒だったら楽しいだろうな、という感じで。僕自身には作家性はそれほどないんです。自分が言いたいことや得意な表現を仕事に適用するというより、依頼してくれる人のリクエストを聞いて、それに添うものを出したいという気持ちが強い。

山内 
洋介くんからは、不思議と、いつも焦りのようなものを感じない。淡々と、楽しみながら一所懸命やっている感じだよね。

 
焦りは......、うん。ないですね。デザイナーとして、またはプログラマーとしては理想があって、そこに到達したい気持ちはすごくあります。もっと洗練されたデザインやプログラミングができる人になりたいと思いますし。ただ、そこに向けては地道にやっていくしかないなと。仕事全般のことで言うと、今は仕事に恵まれていて、自分抜きではやれない案件も多いと思います。そういった自負はありますね。

山内 
今一番夢中になっていることは何?

林 
漫画の口コミサイト『マンバ』です。このサイトは僕がデザインしているのですが、『マンバ』という名前もロゴも自分が提案したので、思い入れが強い仕事です。このサイトのエンジニアがものすごく漫画に詳しくて、彼の探し方や考え方をもとに、使う人が自分にとっておもしろい漫画と出会える仕組みを実装していっています。Webサービスとしては特に目新しさはないけれど、裏側には沢山アイディアが詰まってますし、迷うことなく使いやすい構成にしているつもりです。さらに、サイト内には『マンバ通信』というコーナーもあって、編集長は伊藤ガビンさんにお願いしています。掲載している記事は含蓄あるものが多く、滋賀県立大学人間文化学部教授の細見宏通先生の連載や、まるで重箱の隅をつつくようなコーナー「料理バトル漫画で先に皿を出した場合の勝率」など、興味深い内容が盛りだくさんです。明解で、だけどアカデミックで深みもある『マンバ』をぜひ多くの人に見てもらいたいです!


マンバ」のWebサイト(2017.09.25現在)

山内 
そしたらさ、モノサスが工程表を作るから、洋介くんが講師を務めるマンバワークショップをやろうか(笑)。

 
いいですね、ぜひ!これからも、ジャンル問わずいろいろな作業に取り組みたいです。そして、さまざまな人と仕事をして、自分が今まで知らなかった考え方に出会いながら成長していきたいです。
 

インタビューを終えて  〜林さんへの手紙〜

洋介くんとの出会いは、前職で働いていた約10 年前。 記事にもあるように、デザイナーの石橋さんの紹介で、IAMAS という最先端の学校を卒業して、なにやらセンスがよくてデザインもできてプログラミングもできる子が入ってくる、と。どんな尖ったヤツが来るのかと思っていたら、やってきたのはクリクリ坊主でキラキラ目をした純朴な青年。(当時たしか 26 歳) でもやっぱりセンスは良くて、当時、洋介くんが何かアウトプットするたびに、みんなで「いいね〜」とか「かっけー」とか言っていた記憶があります(笑)。

洋介くんと会話していると、いつも「今の空気感」を捉えた情報がいろいろ出てくる。(彼が tumblrでリブログしている内容もいつも絶妙なものばかり。ちなみにインスタはソフトクリームの写真が多い 。笑)「今っぽい」ものを捉えているだけではなく、王道の良さも、王道を外す良さも分かっているんです。

彼の、アート / デザイン / テクノロジー / エンタメ / サブカルといったジャンルをさくっと横断する活動も、僕にとって洋介くんの魅力のひとつです。横断、ではなくて、そもそも彼にとって旧来のジャンルなど関係ないんだと思いますが。( IAMAS がそういう学校だと思う)そうしたスタンスはやっぱり刺激になります。 洋介くんのクリエイターとしての活動や作品を見たり、一緒に仕事をしていて感じるのが、決して「俺が俺が」タイプではなく、自身を「容れ物」として捉えてインプット・アウトプットする、内にあるものを表現するという感覚ではなく、自分の外にある伝えるべきものを具現化する、そういう感覚を持っているということです。優れたクリエイターって、そういう人なのかなあと思います。

一緒に本格的にプロジェクトをやって 2 年ほど経ちますが、これからも長く仕事をともにしていきたいですし、洋介くんが、今度どのような活動をしていくのか、(勝手に)追っかけたいと思っています。


思い出深い洋介くんといすさんの結婚式(右上は石橋さん)


先日、一緒に行った石巻の Reborn Art Festival にて、 Barry McGee の作品をバックに

山内 真

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