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24
Aug,2016
永井 智子
投稿者:永井 智子
(取締役副社長)

2016年08月24日

晴れ男 坂本靖夫は、ボスキャラ登場に発奮する

メンバー紹介

永井 智子
投稿者:永井 智子(取締役副社長)

2か月ほど前、モノサス初の勤続10周年の社員があらわれました。それが今回登場の坂本靖夫。
彼が入社したのが10年前になるなんて、信じられないほどあっという間のような、それでいて、思い出しはじめたらきりがないほどたくさん詰まった10年間の出来事を、振り返ってみようと思います。

入社面接は、モノサスがまだ個人事業に毛が生えたくらいの創立間もないころ。
会社としても初めての入社面接で、採用を決めた私のほうもかなりの勇気だったけれど、彼が当時住んでいた部屋より狭いマンションの1室でひっそりと活動していた会社に、よく入社を決めてくれたものだと今でも不思議な縁を感じます。
あれから10年。「当時、なぜこの会社への入社を決めたの?」と、本人に聞いてみました。
答えは「採用活動の時、いちばん最初に採用通知をもらったから」とのこと。なんともあっさり。でもそんなところに、必然の出会いはあるものなのかもしれません。
 

RPGのように、次から次へと困難をクリアしつづける

楽しいことが大好きな坂本にとっては、仕事や人生そのものが、RPG(ロールプレイングゲーム)のように見えているのではないかと、ひそかに想像しています。
彼はいつも、あたかもRPGの主役のようにたくさんの味方を集めたり、武器を探したりしているように見えるのです

日本でも海外でも、道をよく聞かれるそうです。きっと、味方を探してあたりを見回しているかのような坂本に、声をかけたくなってしまうのだと思います。
また、坂本と一緒に外出していると、街でよく彼の知り合いに出会います。日本中、いや、世界中に何人の友だちや知り合いがいるのだろうと、あきれるほどに出くわします。
そして、道を聞かれた人と友だちになり、飲みに行ったら隣の席にいあわせた人と次に会う約束をし、そうやって世の中というRPGのステージを、味方でいっぱいにしていっているようです。

ちょっと真面目に、仕事の面でも、味方や武器集めには抜かりありません。
坂本が一緒にプロジェクトにいたから安心して仕事ができたとか、困り果ててもうダメだ、と思ったときに坂本が現れて、勇気づけてくれたから乗り越えられたとか、そんなエピソードを持つ人は社内にたくさんいます。
そうやって1つ1つ築いた信頼関係、そして関係を築いた、それぞれの相手の能力やスキルを最大限に発揮させる力が、いざというときの坂本の武器となり彼自身のパワーレベルもあげていきます。

だから坂本は、困難に思える場面やピンチであっても、ただ落ち込んだり、どうしよう…、とむやみに恐れたりはしません。むしろ、普通だったらひるんでしまうほどの高いハードルであればあるほど、「ボスキャラ登場!」とでも思いながら、みんなの力を結集し、勇んで立ち向かい、クリアしつづけていけるのでしょう。
 

私は私のことをする、
あなたはあなたのことをする


社内のプロジェクトメンバーと。

そんな坂本のプロジェクトチーム作りは独特なおもしろさがあるように思います。本当に立ち行かなくなっているメンバーには、心からの支援をする一方で、メンバーが直面しているある特定の困難に対して、彼は実はほとんど手を差し伸べてくれません。
たとえば打ち合わせ中に、お客さまとディレクターで意見がすり合わず、ディレクターから営業の坂本に助け舟をもとめられても、坂本は、居眠りしてたの?!と驚くような頼りなげな反応をします。また、自分が営業として受注した案件で、毎日遅くまで残業している制作スタッフがいても、自分は定時でさっさと帰宅。
一見、冷たくもみえるこのふるまいだけれども、ほんとうは坂本のチームメンバーへの信頼から出る行動のようです。それぞれの持ち場で、最大限に、それぞれの能力を発揮させるという。

「お前に任せたんだから、そっちは頼んだぞ。俺のチカラがなくても、お前にはできるから」という、最高のエールなのかもしれません。

任せられたメンバーも、だからこそ最後まで頑張れる、ありったけの力を出し切れる、プロジェクトチーム全体で結果を出すことができる。

そんな良いサイクルが、坂本のまわりでは作り出されているようです。
 

「晴れ男」 坂本靖夫は、
天気といっしょにみんなの気持ちも「晴れ」にする


さぁ神輿をかつぐぞと、はっぴを身にまとった気合じゅうぶんの坂本。地元の中野氷川神社例大祭にて。

思い起こせば、会社の成長と重なるように、初めてのこと、途方もなく思えたプロジェクトの多くは、坂本が旗を振って乗り越えてきたように思います。

テーブルコーディングから初めてCSSコーディングになったサイトも、今では一般的になったWordPressやMovableTypeの組み込みも、当時会社の近所にあった大型書店だけを師匠に彼がイチから作り上げました。
今では信じられないけれど、コーディングファクトリーの初期には、300ページの案件で、何週間も徹夜に近い大変な日々を送ったし、初の海外外注では、ちょっとした視察と観光気分で行ったはずが、現地スタッフとともにホテルに缶詰めでの納品作業に参加するはめに。
最近でも、まだまだいろいろあるけれど、これ以上最近のことは、あまりにも生々しすぎて、ここではエピソードを紹介できません(笑)。

そんな、言葉にすると辛い思い出のようでも、笑い話として思い出せるのは、そのプロジェクトにかかわった全員にとって、それが素敵な思い出だからです。

たいへんだったけど、力をあわせて乗り越えられた。
たいへんだったけど、自分もチームもステップアップするきっかけになった。
たいへんだったけど、最後は、お客さまに感謝と称賛のことばをいただけた。

みんなの中にも、そしてたぶん坂本の中にも、そんな思い出として残っていることでしょう。

どんなに困難な状況でも、明るい光を示してくれる。雨嵐のなかでも、みんなの心に晴れた明日を見せてくれる。
そのパワーが、稀代の晴れ男、坂本靖夫の本領なのでしょう。

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この投稿を書いた人

永井 智子

永井 智子(ながい ともこ)取締役副社長

モノサスの取締役副社長です。東京タワーの見える家に憧れ、川崎から、国分寺、本郷を経て目黒までたどり着いたはずが、ひょんなことから山口県に住むことになりました。人生何が起きるかわからない、だけどどこもが住めば都。 「どう生きるか」から仕事や住む場所を選ぶのもいいけれど、今いるところを居場所と決めて、生き方、考え方、性格だって変えていってもいいんじゃない?

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