Wed.
22
Jun,2016
中庭 佳子
投稿者:中庭 佳子
(何でも屋担当)

2016年06月22日

ものさす式 朝礼のはじまり
6年半つづけて「今」考えること

ものさす式 DIY

中庭 佳子
投稿者:中庭 佳子(何でも屋担当)

みなさんのイメージする"朝礼"ってどんなものでしょうか?
子どもの頃のものであれば運動場で立ったまま校長先生の話を聞いたり、大人であれば上司の訓示を聞いたり…ちょっと形式ばって堅苦しいものを想像する人が多いのではないでしょうか?

モノサスでもかれこれ6年半以上、毎日朝礼をつづけています。
長く続けていると、どうして朝礼をやるのか、なぜこのスタイルなのか、疑問に思うことも少なくなりますが、この朝礼もすんなり始まったわけではありません。

今回は、紆余曲折を経てはじまったモノサスの朝礼について、代表・林へのインタビューを交えながらご紹介します。
 

「朝礼やりたいんだけど」「そういうのはあんまり・・・」

「朝礼やりたいんだけど」

最初に言いはじめたのは代表の林。当時、大事なことを決めていたリーダー会議での提案でした。
理由としては、"ゆるやかなルール"をつくりたかったんだそう。

当初は社会人経験のある大人の集まりだったのもあり、そもそもルールで管理する必要がなかったのですが、徐々に社会人経験の浅い人も混ざってきて、だんだん気になることが増えてきたんだとか。このままではただの管理の甘い集団になってしまう・・・

「いろいろ言いたいことはあったけど、口で言ってもダメだなと。かと言って会社としてのルールをがっちり固めたくなかったから。割とゆるやかだけど、10時には会社に来なきゃいけないんだとか、そういうひとつの “リズム” を作りたかった」

そんな想いから提案した林でしたが、リーダーたちは一斉に

「そういうのは、あんまり・・・やりたくないです・・・」

それならばと、徹底的にやりたくない理由を聞き出しました。
すると出てきた答えは「軍隊式ヤダ」「大声を出すのはイヤだ」「ハイテンションを強制されるのはイヤだ」「ラジオ体操とかはしたくない」「儀式的なのはイヤだ」「モノサスっぽくない」などなど。

それはあたかも "住民の反対運動“ のようだったと林は言います。

「やりたくない理由がばーっとリストアップされて、全部やらないって約束をして。
そんな時にリーダーのひとりから"そういえば朝礼で感謝を述べる会社があるって聞いたことがあるんですけど、いいんじゃないですかね?"という提案が。
他のリーダーたちからも特に異論はなかったので、じゃあやろうということに。そこからどんどん決まっていったかな」
 

モノサスの朝礼のかたち

“自分たちの肌になじまないもの”を 慎重に避けて、ようやくみえてきたモノサスの朝礼。
以下のような流れでおこなっています。

〜モノサスの朝礼(約10分)〜

1. 10時ぴったりに開始。※1秒でも遅れたら入室不可
司会当番(日替わりで全員が担当)の「おはようございます」でスタート。

2. 目を閉じて30秒間"その日の成功と仕事の段取り"をイメージ。(30秒)

3. 前日の納品実績や受注報告がある人は手をあげて発表。(1~2分)

4. 司会者からの"ありがとう報告"。感謝したい人を1人決めてその気持ちを伝えます。(3分)

5. 役員もしくはリーダーによるコバナシ(3分)

6. その他連絡事項(勤怠連絡、社食のメニュー告知、提出物などの連絡 etc… )

--

目玉はやはり、その日の司会者からの"ありがとう報告"。
たとえばこんなエピソードがでます。

「納品に困っている時に◯◯さんが手伝ってくれて本当に助かりました」
「△△さんの一言で本当に気持ちが楽になりました」
「××さんと仕事を初めて一緒にしたのですが、とても刺激になっています」
「□□さんはこんなにがんばっていて、励まされます」

照れくさいながらも、感謝されたスタッフの喜びはひとしおです。聞いている私たちも「ありがとう」のエピソードに心がじんわり温まります。この時間は、会社にとっての朝のサプリと言えるのかもしれません。

また、誰かへのありがとうが他己紹介のようになるため、業務で関わらないスタッフの人柄を知る機会になったり、新しい魅力を発見する機会にもなっています。
 

 “この朝礼でいいんだっけ” というムーブメント

「モノサスらしさ」を大切にしながら始まった朝礼。6年半も続けていると当たり前になって、朝礼がいいものか悪いものか、議論される機会はほとんどありません。
そんな状況に、林は少し違和感を感じているようです。

「たとえばイベントや社員旅行って会社の "文化” になっていて。文化には生産者と消費者がいると思うんだけど、そのふたつの境目って結構微妙だと思うんです。
今も社員旅行の幹事と企画をしているところだけど、これって生産者側だよね。
じゃあイベントに反対する人はどっちか。『〇〇が嫌なのでやりたくないです』っていう人がいると、幹事は戦うよね。工夫もするし、知恵も絞る。そういう意味では『やりたくない』って声をあげる人も実は生産者。賛否両論あってしかるべきなんです。

でも今、そういう "文化” に対する何かしらの反応が薄れてきて、(モノサス全体で)消費者が増えているんじゃないかな。

そういう意味でも、最近の朝礼はちょっと違和感がある。
朝礼に参加して話を聞く立場の人たちは、消費すらしてないというか、無関心な人が多いように感じる。全体の人数が増えて、司会の当番が回ってくる回数も減ってるし、なんとなく過渡期なのかもしれないね」

「人が3人以上集まるとコミュニティが発生すると考えているんだけど、こんな70〜80人(モノサスのメンバー数)もいればもうすでに立派なコミュニティだなと。そこには“変わることが必然” みたいなムーブメントってあるんだよね。

そのムーブメントを察知して行動をとることってすごく大事なんだと思う。

今の社内には、 “この朝礼でいいんだっけ” っていうムーブメントがあると感じる(笑)
だけどそんなことを感じている人はそんなにたくさんはいない。
もしくはいても、それを口にだしたり、行動に起こしたりしない。

批判的な意見を言う人って実はとても大事。
ある意味、そういうムーブメントを感じて『今のままじゃダメだ』って言っている部分があると思うんです。
まあ、文句言ってるだけじゃなくて、何か行動しろとは言いたくなるけど。

だから、肯定も否定もされない今の状態って、違和感を感じてます。
誰も生産してないし、誰も消費していない気がする…」


これからの朝礼って?

朝礼をはじめた頃は20人程度だったスタッフも、今では70人を超えます。毎月まわってきた司会当番も、今は3ヶ月に1回程。朝礼をプロデュースする "生産者=司会" になる機会も減ってきています。
ちょっとしたルールが守られなくなったり、人によって発表の精度がさまざまだったり、朝礼の「質」の部分にムラが出てきているのも否めません。

つい先日、私が所属するデザイン部会議で「働き方」というテーマが議題にあがりました。
”始業の時間はしっかり決まっているのに、終業の時間はちょっと曖昧。終わりの時間を意識して働くことも大事では?” というところから始まり、その流れで意図せず朝礼にまで話がおよびました。

「朝礼にでる人が増えて意味が薄くなった気がする。部単位でもいいのかも」
「 "ありがとう報告” って、表現できる枠が狭い。リーダーの “今日のひとこと” みたいに、日々の気づきや考えていること、みんなに聞いてもらいたいことを自由に発表できたほうが、自己アピールの場になってよいのでは」
「もう “朝礼” という呼び名を変えよう」

など、意見が飛び交いました。

たった10分の朝礼ですが、70人いたら 10分間 × 70人 =700分 の時間です。そう考えると、実はとても尊いもの。モノサスというコミュニティの時間と、参加者それぞれの時間が交わる「共(コモン)」の時間とも言えます。

「共(コモン)」の時間は、特定の誰かのものではなく、みんなのもの。
それぞれが関わり、工夫し、楽しむことで、自分にとってよい時間になるかどうかが決まります。

変化しつづける「今」のモノサスのかたちに合わせた朝礼とはどんなものなのか。
自分たちが関わる「共」の時間について、あらためて考えをめぐらせてみる時なのかもしれません。

この投稿を書いた人

中庭 佳子

中庭 佳子(なかにわ けいこ)何でも屋担当

こどもが生まれてからは早寝早起き3度の食事づくりの日々。好きだったランニングと地ビールが遠のき早3年目…。家をDIYで改装し、週末ギャラリー運営中。仕事はやってきたものをいろいろやってます(主にWeb制作)。

中庭 佳子が書いた他の記事を見る