Wed.
12
Apr,2017
澤田 悠奈
投稿者:澤田 悠奈
(ディレクター)

2017年04月12日

なぜ神山に残ったのか、
いまだからわかること
~いつのまにか教わった、自分の生活の真ん中について~

仕事と暮らし・神山

澤田 悠奈
投稿者:澤田 悠奈(ディレクター)

こんにちは、クリエイティブ部運用チームの澤田です!
昨年7月に神山ものさす塾2期生となり、卒塾後は神山に残ることを選びました。
今年の1月から、神山のサテライトオフィスでお世話になっています。

同じ釜の飯を食べて過ごした人達と離れ、あっという間に3ヶ月がたちました。

4月。
みなさま、神山はすっかり春です!

いまだからわかる
いつのまにか教わっていたこと

20170412_01.jpg
2月、雪がよく積もった日に庭で見つけた蝋梅

雪が降った頃、庭の高いところに、蝋梅が咲くことを知りました。
冬のあいだ居着いていた猫はほとんど姿を見せなくなり、
静かだったコンポストでは、ゴソゴソと生き物の音が聞こえています。(怖くて蓋があけられません。)

私はといいますと、神山ものさす塾で同期だった女5人でわいわい過ごした一軒家で、引き続き今も暮らしています。

20170412_02.jpg
一緒に共同生活を送っていた女性メンバー。全員が揃う最後の朝、玄関前で撮影した集合写真。
20170412_03.jpg
阿川の家、夏⇨冬 現在、春になり草引き(草取り)に苦戦しています。

生活の要所要所で、この神山ものさす塾の半年間の気配を感じています。

買い物をする時は、可能な限り地産地消を意識するようになり、
ライティングを教えてくれた講師の方のスタイルをまねて、たまの日記を鉛筆でつけ、
西村佳哲さんのワークショップで知った、人とじっくり向き合う姿勢は、
自分にとって大切な指針となっています。

カリキュラムの中で、自分以外の人の価値観にしっかり触れることがこれまでなかったことをしっかり自覚しました。
そして、共同生活をしていた女性4人、みんなの生活の知恵やクセのようなものまでもが、いつのまにか自分の習慣になっていることにも気付きます。


  • ホットタオルを頭にのせて朝の支度をする(頭皮のため?寝癖直し?)

  • 起き抜けすぐの布団干し(日曜晴れるたびに)

  • 食べかけのお菓子袋のしまい方(なかなか湿気らない)

  • 手元の灯りで、就寝前の読書(隙間時間の利用) などなど

どれも何気ないことですが、あらためて挙げてみると、
無意識にいいなと感じたそれぞれの部分を真似しているんだと気づき、
今になってみんなに対して抱いていた印象が鮮明になってきます。

よく笑わせてくれた口癖までうつっていて、
人と話しながら思い出し笑いすることもありました。
モノより思い出。この安心感を 今はなによりもありがたく思っています。

20170412_04.jpg
温泉はご褒美のような気持ちで通っていました。思い出すだけで楽しかった日々。


いまだからわかる
自分を優先する時間の必要性

私の理想は、モノづくりを自分の生活の真ん中におくことです。
(そのことにちゃんと気が付いたのはつい最近)

芸大を卒業し、23歳で体調を崩して実家に帰ってきた時、
"少しずつでも自分のモノづくりを"と思い、歯科技工士の父が営んでいる技工所の機械を見てアクセサリー作りをはじめました。

ワックスで原型をつくり、石膏で型をとり、鋳造、研磨してピカピカの指輪を作ったのが一番最初。父からモノづくりを教わるのは、はじめてのことでした。
父のことを、腰を痛めて、目も悪くして、人よりずっと太い指で、朝から晩まで細かい作業をする職人なのだと、その時改めて実感しました。

その後私はすぐに、地元の印刷・出版の会社に営業として就職が決まり、
県内を走り回る仕事は毎日楽しく、実際にモノづくりの現場で忙しく過ごすうちに、
自分のアクセサリー作りは友人の誕生日や頼まれた時にだけ行う程度になっていました。

最初の2年は、それでも地元で十分楽しく過ごせていましたが、
いつの間にか、やり残したことがたくさん積もりに積もっているような感覚が拭えなくなり、毎日落ち着かず、常に焦りがありました。

そこから2年働き、焦りの正体がはっきりとしないまま、
現状打破の思いを込めた転職活動で、神山ものさす塾2期生になることができました。
塾生としての半年間は、2年くすぶった自分の目が覚めるには十分すぎる充実内容でした。

その半年の塾生生活と、この3か月の大きな違いは、
圧倒的に自分の時間が増えたこと。

徹底的に人と一緒に過ごした半年間を抜けて、
ひとり、半年間考えていたことを総復習をしているような気持ちで過ごしていました。

家の広さに合わせて作業台を用意して、
細々とおこなってきたアクセサリーの制作を続けられるよう、道具、材料を少しづつ揃え、
ちょっとした布類も扱えるように試作しつつ洋裁の勉強もはじめました。

現在は、ずっと理想だったものづくりの環境を整えています。
広い庭も少しずつ作っていきたいなど、この先の希望も湧いてきます。

20170412_05.jpg
ミシンの重さでたわんでしまう作業台。平日の夜、少しだけ制作ができるようになりました。

洋裁も、庭も、ちょっとした木工作業も、おおいに人に影響されているわけですが、
どうやったらいいか、なにかいい方法はないかと誰かしらを訪ねると、
あっという間にあらゆる手段や縁へ繋げてくれます。
経験豊富なアドバイスがすぐにいただける環境であり、実現可能な土地と広いスペース、道具も高確率で借りることができます。

20170412_06.jpg
塾生の時にお世話になった大門製材所のお父さんに、作業台を調整してもらいました。

神山にいると、トライするまでのハードルが低く、
「よし、やってみるか」とすぐに動くことができます。
そう過ごしていると、自分の心と環境との間に乖離がなくなり、
最近はいつになく素直に過ごせているような...。

自分には無理だろうなと思うより、
やってみることがずっと健康的であることがわかります。

20170412_07.jpg
うなぎの寝床さんの、現代風もんぺ型紙で処女作・もんぺを製作中の頃。

神山に残ったのはなぜだろうな、と考えた時、
この自分の心と環境に乖離のない状態が、一つの理由だと思いました。

自分の原動力が何なのか、頭で考えていた時より
ずっと多い時間モノづくりに取り組んでいます。
シンプルでスムーズ。
隙間時間に淡々と、自分が心地よい程度、素直に動けています。


そういう時間がしばらく続くと、必ず誰かを思い出します。

生活習慣をうつしてくれた誰かや、最近子供が生まれた誰か。
自分が充実するほどに、誰かに何かできたらいいな、したいなと思う。
恥ずかしながら、ここ2年ほど忘れていた、すごく久しぶりの感覚でした。

視界が明るくなってはじめて、渦中の暗さがわかるものですが、
この2年ほどはずっと、自分の足元ばかりを見ていました。
山積みにされた問題の原因が、ずーっとわからないまま。とても窮屈でした。

自分がやりたいことを後回しにしない。
たったそれだけのことが、私にとって大事なことだと実感しました。


いまだから改めて、
神山に残ったのはなぜ?

先にも述べましたが、
私の理想はいつも、衣食住が健やかになるような、
モノづくりを自分の生活の真ん中におくこと。

偶然にも期間限定で住むことになった神山で、
自分の力で一から理想を実現していく人たちにたくさん出会いました。
その姿を見ていて、自分がこれまで自信が無くて遠ざけていたものを
少しづつでもやりたいという思いが次第に強くなりました。

神山町そのものが、
現在進行形で町ぐるみの新しいプロジェクトが進んでおり、発展の最中にいます。
よく循環し、子供たちまでずっと続く町であろうと、
一から順を追って軌跡が見えるような、そんな場所です。
町全体を占める空気感と、目指す方向は、暮らしているとよくわかります。

20170412_08.jpg
3月にOPENした Food Hub Project の「かま屋」。神山町全体の雰囲気がどんどん変わっていくように感じています。
20170412_08.jpg
2016年1月29日、Food Hub Project一番最初の記事"。循環する仕組み"とは何か、どういうものか、どういった思いのもとに考えられたかが書かれている。

20170412_10.jpg
塾のカリキュラムのひとつであったインタビュー講座にて、"人の話を聞く"ということを教えていただいた西村佳哲さんのものさす記事(2016年6月のもの)。神山在住、神山つなぐ公社にて「まちを将来世代につなぐプロジェクト」を進めている。
20170412_11.jpg
神山つなぐ公社が進める集合住宅の建設風景。毎日通勤途中に眺めています。


"東京にいるとただ街を歩いているだけで情報が入ってきますが、
情報を取りにいかないと得られない今の状況についてはどう思われますか?"

神山の視察のため、サテライトオフィスを見学に来てくださった人にそう質問されました。

確かに、東京でないと得られない情報はたくさんあると思いますが、
単純に情報を得るだけでは自分の身にならないと個人的に感じてきました。

自分が欲しい情報を、自覚できていることと、
そしてその通りに動くことができる十分な余白を、自分に用意できる環境に身を置いていることが大切だと思っています。

それは現在、神山で生活していて、十分に得られているものです。
上記のようなお手本になるようなプロジェクトがあり、
暮らすように遊ぶように働くお手本のような大人もたくさんいます。

そしてその町にしばらく身を置いた私は、
昨年の10月に進路を考えはじめてから12月卒塾するギリギリまで、
会社員に戻るつもりはありませんでした。

今思えばとても無謀な考えだったと思いますが、
神山で出会う人たちに影響され、塾でたくさんの可能性を提示してもらっているうちに、
ずっとあきらめてきた理想を今実践しなければと、焦る思いでいました。

すぐ目の前の出来事ばかりに捕らわれて
好きだったはずの物事に対しても何も思わなくなっていた私にとっては大きな変化。
このよい変化を大事にしたいと思うほど、
もう一度会社に勤めようという気持ちには、どうしてもなれませんでした。

そんな私が、今、モノサス神山運用チームで働いているのは、
モノサスが、会社と社員 "お互い" の将来がよりよくなるよう、新しい働き方を次々と提案・実践していく会社であり、その過程が本当に楽しそうに見えたからです。
それぞれが自分たちの主張だけをしている状態ではなく、"お互い"という部分を本当に視野に入れて考えてることが、わたしに強く響いた部分でした。

「お互いが正直に話をして、お互いにとってよい選択を考える。」

今は、偶然にでもこの選択をしてよかったなと思いながら、過ごしています。

この投稿を書いた人

澤田 悠奈

澤田 悠奈(さわだ はるな)ディレクター

運用チーム神山SO勤務。縁側庭付きの広い家を存分に散らかしながらモノづくりに励んでおります!日課は星読み。マイブームは節約。毎月少しずつ制作道具を買い揃えていく楽しみの奴隷です。最近庭作りと洋裁も細々はじめました!現在一人暮らしのため薪風呂生活お休み中。

澤田 悠奈が書いた他の記事を見る