Wed.
17
May,2017
浅田 亮平
投稿者:浅田 亮平
(デザイナー)

2017年05月17日

標高600メートルから見えた景色
~殿宮での山暮らし~

仕事と暮らし・神山

浅田 亮平
投稿者:浅田 亮平(デザイナー)

どうも初めまして。
クリエイティブ部運用チームの浅田です。
現在、神山にあるサテライトオフィスに勤務しています。
私は、昨年モノサスで実施された雇用型職業訓練「神山ものさす塾 第二期」 に応募し、採用されたことがきっかけでここ神山に来ました。

それから6ヵ月間の塾生活を経て、今年1月に本格的に移住しました。
私にとって、これまで塾で過ごした6か月間は、これまでの人生において、とても濃厚な日々でした。(一緒に生活を共にした塾生の記事はコチラ。
今回は塾生活で起こった出来事ではなく、その時に住まわせてもらうことになった現在の家、殿宮での暮らしについて、前編と後編に分けて、ご紹介していきたいと思います。
 

神山に来て3日目にして出会った殿宮

左から殿宮、神山サテライトオフィス、徳島市

まず殿宮とは、神山町にある地域の名称で、場所は東宮山という神山町と美馬市の境界に位置する剣山系の山にあります。山頂には東宮御所神社(標高1,090m)という神社があり、今住んでいる家も標高600メートルの場所にあります。

この辺りの人たちは昔、蚕やタバコの生産をしたり、子牛を肥育し、町に売りに行く肥育農業を行い生計を立てていました。
各家ごとに畑があって、基本的には自分たちで食べるものは自分たちで生産する。いわば半自給自足というようなかたちで生活をしていました。
戦後、日本全国で林業が活発化したころには、ここ殿宮も例外ではなく、林業や山師をする人が増え、出稼ぎに外からやってくる人もいたほど。

今となっては、私が住んでいるエリアでは、3軒しか人が住んでいる家はありませんが、その頃は、村をあげてのお祭りがあったり、下分(町内でもサテライトオフィスなどがある中心地)からお酒を飲みにやってくる人がいるほどの賑わいがありました。
しかし、現在ではこの場所もいわゆる限界集落となり、今住んでいる人たちは年齢80歳以上の方ばかり。肉体的にも大変なこの場所、毎日畑を耕し、たくましく日々の生活を営んでいます。

これは現在私が住んでいる家で、屋根を支える柱です。

この家は築50年ほどなのですが、柱はその頃殿宮でとれた杉を使用しています。
この独特の曲がった形状の木を手に入れるために、山師と家の持ち主とで山へ出かけここに見合う木を直接目利きして選んだということを、家主である森下さんが教えてくれました。
 

大家さんである森下さんとの出会い

そもそも、私がなぜここ殿宮に住むようになったのか。
それは、昨年の7月。塾がスタートしてから3日目の晩のこと。
その頃、私たち塾生は神山スキーランドホテルという場所に滞在していました。
しかし、スキーランドでの滞在は、期間限定で一か月間。
その後は、自分たちで住む家を探さなければいけなかったので、皆で人伝手に探し回っている最中でした。

そして3日目の晩。ロビーで作業をしている時、2階で宴会をしていたおじさんがコチラに来て、「お前ら一緒に飲まへんか?」と声をかけて来ました。
そこから、半ば強引に宴会をしている部屋に案内され(笑)、おじさんたち集まる、高校の同窓会に参加しました。
ちなみに、その時のおじさんが森下さんであり、今住んでいる家の大家さんです。

そこで、私たちがこれから神山で住むための家を探しているという話をすると、森下さんは、「都会から来た人間がこんな田舎で生活できるわけない。お前ら田舎をなめとる!」の一点張り。

しかし、その後のカラオケタイムで、吉田拓郎の『御伽草子』を披露したところから、流れが変わり始めました。
吉田拓郎はおじさんたちの青春だったらしく、森下さんも一緒に歌い始めたりと徐々に打ち解けはじめ、「お前ら田舎をなめとる」から「一回田舎暮らしがどんなものか見せてやるから明日俺の家に来い!」と、話が展開し、次の日、実際に家を見に行かせてもらうことになりました。

翌日、森下さんとは車で待ち合わせ、その後について現場へ向かったのですが、
なんせ道が険しく、林道を入って行った時には、間違えて林業の人について行ってしまったのではと思ったくらいの悪路でした。

しかし、到着するとそこには立派な古民家が立っており、目の前は山々が一望できるというロケーション。

その時の様子がコチラ。

とにかく縁側からの景色が素晴らしくて、 田舎暮らしに興味のあった私たち塾生は、どうにかここに住まわせてもらえないかとお願いをしました。


こちらが縁側からの景色

すると森下さんは昨日の様子とは打って変わって、「家はやっぱり管理をせな朽ちてくるから、お前らが住んでくれると家にもおれにとってもいい。何より昨日の出会いは何かの縁やし、お前らに貸したってもええよ」と言ってくれ、難航すると予想されていた家探しが、なんと神山入りした4日目にして達成することになりました。ちなみにその同窓会は約20年ぶりだったらしく、普段はスキーランドホテルへ来ることもないのだとか。
 

殿宮での生活

翌月8月、一か月間のスキーランド生活を経て、いよいよ殿宮での暮らしがスタートしました。
山暮らしでは虫がすごいので、蚊帳を買ってきて設置したり(その中に塾生5人で川の字になって寝ていました。)網戸がないからと、網戸のネットを買ってきて、自作して装着したり、納屋にある古い道具を修復したり、そうやって、暮らしに必要なものを少しずつ整えていきました。


縁側は日当たりもよく、休日にはメンバー5人分の洗濯物が並ぶ。


納屋にあった鎌。


これらを研ぎ再生していきます。


納屋にあった昔の棚を修復


スキーランドのお父さんに教わり、コンポストを制作し設置

しかし、殿宮に住んでいると不便さを身にしみて感じます。
最寄りのコンビニまでは、車で25分。徳島市内へは、1時間10分。
ちょっと買い物へ、というようにはいかず、買い物をするにも時間の単位がこれまでとは違います。
それも多分、神山の中でも寄居(神山の中心地である寄居)で暮らすのとでは、また違うような気がします。

しかし、こういった生活を半年も続けていると、以前と比べてその不便さにも慣れてきました。

毎朝の出勤にしても、山から下りて信号一つない山道を車で出かけていきます。
その時間が自分の中でのスイッチを緩やかに入れてくれるし、毎日の天気にしても冬の間は、家から見える山が2日連続で雪を被ると雪が来るとか、自然の流れる時間を身近に感じ取ることができます。


奥に見える山に、雪が被り始めると殿宮にも雪が来る。

朝起きて、縁側から山々を眺めながら飲むコーヒーは何よりも贅沢。

こういった生活が、不便だからできると考えたとき、不便さから生まれることも多いのではないのかと感じられるようになりました。
 

ここで見えた景色
〜選択するということ〜


殿宮地区での散策風景

こっちに来て、何が自分に充実感を与えたのか、今少しずつですが分かり始めているような気がします。

まず、ここに来るきっかけとして、塾生たちと共に過ごした6ヵ月間は大きい。
モノサスの「ともに生きたい人と働く」という募集記事をみて、それぞれがここに来ることを選択して神山に来ました。

こうして全国各地から集まった塾生メンバーたち。
それぞれ個性があって、共通する部分も多く、話が盛り上がり夜遅くなることもしばしば。

これまで他人だったはずの相手と共同生活をし、お互いのことを理解するために、相手の言葉に耳を傾け、自分自身のことを話す。議論になることもあったけど、そこまで本気になれたのも、自分中にある弱い部分をも理解しあえるとそれぞれが信じていたからなのかなと思います。

あと、この共同生活が都会ではなくてここ神山だったということも、要因の一つであると感じています。
神山のような小さいコミュニティの中にいると、目の前の人が合わないなどとは言ってられない。
今いる人たちとやっていくしかないという感覚がありました。
また、そういう場所では、人間関係が限られている分、個人というものが際立ち、自分というものを認識しやすい。
町で何をしていても、誰も気にしないということはないように感じます。
リスペクトもあれば批判もある。

周りに左右されるんじゃなくて、まずは“自分自身”を選択し直して、それに対して忠実に行動していくこと。
迷惑をかけてしまったときは、全力で謝ればいい。
ただ、そこで謝ろうというスタンスでいることが大切なのだと思います。

何事も選択していくことが大切というよりも、毎日いろんな選択をしているということを認識することが大切だと感じます。

例えば、些細なことでいうと。
今日家でゴロゴロする。ということに対しても、ゴロゴロしようと選択をしてゴロゴロするのと、何かしようと思っていたけどゴロゴロしてしまった。というのとでは、一日過ごしたあとの感じ方が全然変わってくる。
あらゆる行動を自分が選択していると認識することが、あとの感情にいい影響を及ぼしている。

今選択できないということにおいても、その悩み方など、もっと細かいところまでみていくと、絶対に何かしらの選択はしていってる。そのことを認識できていれば、必要以上に不安になることもない。

神山にいると普段のゆっくり流れる時間の中では、こういったことを実践していくことができるように感じました。

あと、都会に住んでいた頃と変わった点で、モノを安易に買わなくなりました。というより、安易に物を買える状況にいない。

amazon(殿宮では、ネットは高速 WiFi、amazonもすぐ届く。)で買い物をするにしても、欲しいものが明確でないと買わない(私の場合)。都会にいると、移動する間にも店があり、情報がどんどん入ってきます。そういった状況では、ほしいものが明確でなくても、目の前の商品を見てほしくなったり、これ便利だな、必要かもと、モノを見てから買うということが増えてしまう気がします。

しかし、ここに住んでいると、まず目の前に何か問題があって、これは必要だと感じて、その状況が何日か続いたら実際に物を買う。というように、物を買うまでのハードルが高い分、そこを超える間に、必要なモノの優先度が自然と浮かび上がってくるので、必要性が低い雑多なモノが溢れにくい。
別にモノをすぐ買える状況が悪いわけではないし、そこから生活が豊かになることもあるかもしれない。だけど、そういう生活をしていると、色々情報が混在していって本当に何が必要なのかよくわかりづらくなる気がします。

物事にしても、人にしても、選択肢は多くあればいいけれど、その前に今選択すべきものをしっかり確認しておく必要があるということを、この場所に来て学ばせてもらった気がします。
こういったこともあり、今の生活は、目の前にある人やモノゴトに対して、じっくり向き合える場所だと感じます。

また、目の前にあることに向き合うことで、自分自身を認識しやすくするし、そのスピード感が今の自分には丁度良いい。
だから、私はこの場所での生活を選択したのかもしれないと感じています。
そして、これから自分自身がどういう選択をしていくか。じっくり確かめながら生活していきたいと思っています。
後編は、殿宮での人との出会いについてご紹介していきたいと思います。

この投稿を書いた人

浅田 亮平

浅田 亮平(あさだ りょうへい)デザイナー

神山運用チーム所属。大阪生まれ大阪育ち。 アジア放浪を経たあと、ものさす神山塾をきっかけに神山へ移住。 愛称はあさチャン。と言いたいところですが、未だに誰も呼んでくれません。 浅田君です…。そこの隙間を埋めるべく日々励み中。

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