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Nov,2022
山田 真綺
投稿者:山田 真綺
(ディレクター)

2022年11月02日

トエックを全身で感じてきました

ものさす探究隊

山田 真綺
投稿者:山田 真綺(ディレクター)

皆さまこんにちは、普段は周防大島オフィスにいるやまだまきです。
今回機会をいただき徳島県阿南市にある「自然スクールトエック」に行ってきました。

「自然スクールトエック」とは、「ほめない、しからない、認める教育」などを大切に、関わる人たちが育ちあえる場としてできた場所で、小学校やようちえん、フリーキャンプなどを運営しており、その人本来の主体性を発揮できる環境を作っています。

私が、「おなかの空いた子どものいない世界を作りたいな」と学生の頃ぼんやり思っていた話をした時に、トエックが開催している「TOECフリースクールセミナー」を紹介していただきました。そして、そういえば名前は知っているけどよく知らないな、なんだか面白そうと漠然と思ったのが、行くことになる始まりです。
 

「TOECフリースクールセミナー」とは

対象者は「子どもの自然体験活動をされている方、教師・保育士・介護士など人と関わる職業の方、目指している方、森のようちえん、デモクラティックスクールのスタッフや、将来そんな場を創りたいと夢見ている方、など」

セミナーの目的は「人が育つ『場づくり』を学ぶ」と書かれています。つまり、教育に関わる人をメインターゲットに、子どもたちが通うトエック農園で、活動の理念の説明や実際に子どもたちとの活動の現場の見学や、場づくりの体験をしたり、実際にフリースクールを体験したりします。また、集まった参加者でテーマを考えながら話合う場を設けて、共に学び合あう場となるセミナーです。

気になる方がいらっしゃればぜひ↓
「トエックフリースクールセミナー」

とはいえ、サイトを覗いてみてもざっくりとあるだけであまり何をするのか分かっていませんでした。
参加はしてみたいものの、教育がメインだろうし、もしかして場違いになるのではと不安を感じていました。
 

いざ、トエックに到着して

実際参加してみると学校の先生、幼稚園の園長先生、フリースクールのスタッフ、教育を学ぶ学生、などとにかく子どもや教育に関わる人ばかりでした。どうやら普通の幼稚園や学校とも雰囲気が違うし、ここに学びにくる人たちは、確実に何かを学びとっていきたいのだなと思ったのが第一印象でした。

みんな子どもたちのことを一生懸命に考えているように感じました。
でも自分は先生でもなければ、子を持つ親でもないし一体どの立場から聞いたり話したりすればいいのだろう…と思っていたものの、話は教育という枠組みだけでなく、働き方や、農業、平和に関する問題にまで様々な話題が持ち込まれ、自分の目線でも話せる事があるなと感じ、セミナーの流れに吸い込まれていきました。

セミナー内では様々なことを見聞きしたり、感じたりする場がありました。その中でも3つの印象に残っているできごとをお話できればと思います。


このように円になって話をします
 

やりたいことをやる

実際に子どもたちとスタッフが過ごしている時間を見せてもらう時間がありました。
朝のモーニングルーティーン(朝の会)から始まり、「話したいこと」「困ったこと」「やりたいこと」に分けて全員から話を聞いていき、もちろん話したいことがないならないでよく、やりたいことがまだ決まっていないというのもOK。みんなから一通り聞いたら、その日が始まります。

その日はあいにくの雨で、河川敷にあるトエックの道はぬかるんで水溜りがたくさんできていました。今日はお部屋で遊ぶんだろうなと思っていましたが、子どもたちは普通に外に遊びに行っていました。しかも田んぼの泥の中へ。何をするかと思えば、さらに田んぼに水が溜まるように水を増やしていました。

スタッフは子どもたちにカッパを着せ、雨に濡れないようにということかと思っていたけど、泥に突っ込んで行っていたので、一体なんの効果があってカッパを着せたんだろうと思っていましたが、カッパを着ると冷たい風を防げるから風邪をひきにくくしているようでした。
「今日の天気ちょうどいいな」と言っている子がいて、その子には雨=天気が悪いではないようです。

子どもたちはとても自由で、寒いから焚き火を始めてみたり、せっかく焚き火をするから焼き芋を作ってみたり、普段の私の考えでは及ばない自由な発想で生きていました。
テントから時折落ちてくる水に興味を持って朝からずっとその辺りをうろうろしながら過ごしたり、テントの布のところに溜まった雨を時期を見てつついてみたり。

全員の朝言ったやりたいことは叶えられないのではないかなと思っていたけれど、スタッフの方が「〇〇やりたかったんじゃないの」と聞いていました。その子はもう他の遊びが楽しくてやりたかったとこをやる気持ちはなくなっていましたが、小さな希望だとしても覚えられていて、聞かれることで消化される気持ちもあるよなと思い、全ては叶えられなくても確かめる気持ちを持つのも大事だなと思いました。
 

健やかとは

いろいろな話題についてじっくり話す機会がありました。その中でも特に印象に残っているのが「健やか」さについてです。

セミナーの初日に幼稚園のスタッフの方から概要説明を受けている時「健やか」という言葉がたくさん出てきました。私もとてもその言葉について考えていた!と思い、すかさずノートにメモ。この人の「健やか」は一体何を指しているんだろうと思いながら聞き、2日目の夜の分科会の議題に挙げてみました。
「健やかさ」とは何か、元気に楽しく過ごしていれば健やかになるのか、と言われると違うと感じ、どんな状態にあれば「健やか」なのかと考えました。
その中で出た答えは「健やか」は「なる」ものではなく「向かっている」ものだということです。100%とか完璧にとかそんな言葉でまとめがちだけれど、そもそもそんな100%なんてものはないし、100%健やかな状態と言い切れる状態の方がむしろ「健やかではない」のかもしれません。

そんなやりとりをした次の朝、トエックの建物の目の前で、みんなが太陽に向かってヨガをしていました。「健やかってこういうことだな〜」と、ふと思っている自分がいました。心に余裕があるからこそ健やかについて考えられるような気がしました。記事を書きながらふと、大阪弁で言う「ぼちぼちやな」が一番健やかな状態に近いのではと感じているところです。


ヨガを学んでいる人がいて、その人に教えてもらっていました

ちなみに、周防オフィスでも月に一回の会議で「より健やかに仕事をできるには」という議題があり、健やかってなんだろうなと思い続けていたのが私の「健やか」とは何かが気になり出したきっかけでした。いつも一緒にいるメンバーでは、もはやちょっと話すにはこそばゆいような内容ですが、自分の中で深められるといいなと思っています。
 

思いのままに過ごす

3日目には子どもたちと同じように参加者が自分の思うように時を過ごすという時間がありました。参加者はそれぞれに、歌ったり、踊ったり、泥だんごを作ったり、虫を探したり思い思いの時間を過ごしていました。

ちなみに私は大きな田んぼの中で、走り回ったり、ボール遊びをしてみたり、全身泥の中に沈めて思う存分時間を過ごし、その後は歌を歌っているメンバーに混ざって歌を歌い、終わり際に思い残しのないように、また泥につかって、最後は薪で炊いたお風呂に浸かってその時間を終えました。

社会人になってから泥で服を汚しながら遊ぶことはなかったものですから、本当に楽しく過ごしました。ただ遊んでいるだけのようで、自分を取り戻すような感覚があり、ふと周りの声が聞こえてきて、こんな楽しげな空間って本当に存在するのだなと思いました。子どもが思いっきり遊ぶ以上に大人が思いっきり遊んでいるのは、感慨深いものがあります。

その日の夜はちゃんと銭湯にまで行ったというのに、最終日の夜に家に帰ってシャワー後に耳掃除をすると驚くほど耳から泥や砂が出てきて、笑ってしまうほどでした。


私もこの中に入って泥まみれになっていました
 

振り返って思うこと

全て終わってから感じることは、「遊ぶように働く」というような言葉がある通り、子どもたちは「遊ぶように学ぶ」を実践しているのだなということです(実際にトエックには遊学という言葉がありました)。話をじっくり聞いてもらうことで、自分も話をじっくり聞くことを覚えたり、泣きたい時に泣かせてもらえる環境があることで、自分の感情は間違いじゃないと確信できたり。けれど大人になっていくうちにいつの間にか感情表現が下手になったり、ちょっとの違和感をまぁいっかと見過ごしてしまったり。

そもそも何が大人ということなのかなと立ち返ってみて調べてみると「1.一人前に成人した人。2.老成していること。3.(子どもが)おとなしいこと。静かにしていること。」とでてきました。
一人前?老成?おとなしい?なんだか納得できないなと思ってしまいました。大人と子どもという区別をどこかの誰かがしているだけで対してそこに違いはないような気がしています。

TOECフリースクールセミナーは子どもとの関わり方を学ぶ場であったのは確かですが、特に子どもだからといって何かを特別にするわけではなく、人と人との関わりの基本的なことに立ち返ることであると感じました。どう受け取れるかは自分の心の余裕とか健やかさとも大きく関わってくるだろうし、ただ聞くということがいかに難しいのかに気づけたのは大きな発見だった思います。

今回いつもと違うだれかと関わったり、自由自在に時間を過ごしたりする事によって、「あぁ自分生きているなぁ」と感じました。別にいつも死んでるわけじゃないけど、確実にそこで生きているという感覚になり、今あるものをそのまま受け入れる器の広さみたいなものを感じたり、自分の日々を振り返る機会になったような気がしています。
いつもと違う人と会うということは、いつもと違う視線でいつもと同じ物事に触れることでもあり、それは同じものを見ていたとしてもいつもと違う発見があるような気がします。

なんでも自由自在にするのは難しいけれど、自分の心は自由自在のままでいたいものですね。

この投稿を書いた人

山田 真綺

山田 真綺(やまだ まき)ディレクター

ディレクションやデザインをしています。 好きな動物はキリン。嫌いな事は草抜き。でも最近カボチャを育て始めたから、実ってくれるまで彼らのために草抜きを頑張る気持ちになっているところ。やればできる子やまだまき。

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