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Nov,2023
杉本 恭子
投稿者:杉本 恭子
(ライター)

2023年11月14日

「モノサスならおもしろいことができそうだ」と思い続けて10年目・ディレクター松永悟

自由と責任 〜みんなの制度と働き方実験室〜

杉本 恭子
投稿者:杉本 恭子(ライター)

こんにちは、京都で暮らしているライターの杉本です。
秋が短すぎて、冬の足音が聞こえてくる今日この頃、指先がつめたいです。

さて今回インタビューしたのは、ディレクターの松永悟さん。いつも代々木オフィスに行くと、North棟一階で静かに画面を見つめてキーボードを操る姿はお見受けしていて、いつかお話を聞いてみたいなと思っていました。あらためて松永さんヒストリーを紹介するとともに、お仕事とモノサスに対する思いを語っていただきました。

松永さんについては、加倉井さんによるメンバー紹介記事もぜひ読んでほしいです。愛にあふれています。


音楽漬けだった学生時代

杉本 ご出身は岡山だと伺いました。

松永 岡山市にも倉敷市にも公共交通機関で15分ほどのベッドタウンでした。子どもの頃は田んぼもあったので用水路でザリガニを取ったり、ファミコンをしたりして遊んでいました。幼稚園くらいのときにおねだりして初めて買ってもらったのが、初代のスーパー・マリオ・ブラザーズです。

杉本 大学入学と同時に倉敷を離れて四国へ。

松永 愛媛大学理学部で化学の勉強をしました。学生時代はオーケストラでファゴットという木管楽器を吹いていました。バッハの時代からずっとある楽器で、現代曲でも使われている楽器です。

杉本 ファゴットを選んだのはどうしてだったんですか?

松永 珍しかったからです(笑)。吹奏楽では大きい楽団にしかいないのですが、交響楽団ではファゴットはほぼ必須の楽器。うまくなりたくて毎日練習していました。自分たちで演奏会をつくるのも面白かったです。予算を立ててチケットを自分たちで買い上げで、市民会館のホールを借りて半年に一回コンサートを開いていて。仲間もいるし、飲みに行ったりするのも楽しくてハマっちゃったという感じですね。

杉本 今もファゴットを演奏していますか?

松永 社会人になってから一度は楽団に入りましたが、音楽を続ける環境を自分でつくりきれずに諦めちゃいました。毎日触らないとどんどん下手になっていくし、練習時間も足りないんですよね。

先日、今も音楽を続けている中学時代の友人が、楽器屋さんで開かれるコンサートに連れて行ってくれました。店員さんもお客さんもみんな演奏者。「楽器できるなら貸しますよ」と言ってもらい、ファゴットを借りて十何年ぶりに触ったらやっぱり面白くて。ひさびさにやりたい気持ちになりました。ただ、音楽をやる環境を整えるのはやっぱり厳しくて二の足を踏んでいます。


品質管理からアパレル、海運業界へ

杉本 大学を出た後は?

松永 化学の専門を扱う技術者請負をしている派遣会社に就職して東京に配属されました。ところが、「今は化学の分野自体の仕事がない」と言われて、電気電子のデジタルテレビを開発する会社で品質管理の仕事をすることになりました。Linuxでコマンドを打ちながらテスト作業をしたとき、初めてプログラムに触れました。

3年は続けようと思って働いていたのですが、ルーチン作業だし仕事中は人と全く話さないので、このままじゃちょっとダメだなと思って。何でもいいから外に出たいと思い、その頃は洋服が好きだったし、GAP系列のバナナ・リパブリックに入りました。

杉本 品質管理からアパレルってすごい振り幅ですね。洋服屋さんのお仕事はどうでしたか。

松永 お客さんのようすを見て「あ、この人は声をかけてほしいかな」と判断して、手を差し伸べられたらうれしかったです。「着る服があまりない」「サイズがない」とか、困っている人にどうやって合わせるかというのも、個人的にはすごく楽しかったですね。

マーケティングもしっかりしていました。在庫管理はもちろん、お客さんのトラフィック、客単価、それに対するコンバージョンをデータ解析しているんです。インカムでスタッフが報告する毎時間の販売データを集計して「この商品が伸びているので売っていきましょう」と指示が出たり、「昨年のこの時期はパンツが売れていたから、今朝はパンツを出しましょう」とディスプレイを変えたりするオペレーションはすごかったなと思います。

バナナ・リパブリックには最初はアルバイトで入ったので、一時期は仕事を三つ掛け持ちしていました。前職から引き継いだテスターの派遣、さらに自分でECサイトを開設してサイリウム(ケミカルライト)を販売していました。

杉本 サイリウムって、アイドルのコンサートでファンが振る光る棒みたいな?

松永 それです。当時住んでいたシェアハウスに、玩具屋さんの息子さんがいて。「個人向けに小ロットで販売したら売れるんじゃないですか?」と言ったら、僕がECサイトをつくることになったんです。その後、バナナ・リパブリックの契約社員になってフルで働くようになり、そこで奥さんに出会って結婚をして。子どもが生まれたときに「このままではちょっと厳しいね」と、しっかりお給料をもらえそうな会社を探して海運業界に転職しました。


32歳のときに考えた「本当にやりたいこと」

杉本 アパレルから海運! 再びなかなかない展開ですね。


船上運搬のオペレーター時代。ソウルにて。

松永 海上運搬のオペレーターとして、主にケミカルタンカーと入港する港の代理店、荷主のスケジュール調整をしていました。それまでいわゆるビジネスマン経験がなかったので、時事的な話題にもついていけなくて最初は苦労しました。上司に「毎日、日経新聞を全部読みなさい」と言われて読んでいました。でも、すごく面白かったんですよね。新聞の記事と船で運ばれる原材料の動きのつながりが見えたりして。ただ、お酒のつきあいがめちゃくちゃ多くて、僕は飲める方ではないからついていけなくて。

杉本 お給料もいいし、仕事も面白いけれど、飲めないお酒で体はしんどくなってしまって。

松永 はい。そこではじめて「本当に自分は何をやりたいんだろう?」と考えました。ニーズのあるところに商品を届けるのも楽しかったし、理数的なことはもともと得意だったので、ECサイトをつくっていたときは楽しかったなと思って。Webデザイナー養成の職業訓練校に通っていたら、そこでモノサスを紹介されました。在学中に内定をもらったので、しばらくは半日だけ働いて、夕方から学校に通っていました。2014年、32歳のときですね。

実は、派遣会社に勤めていたとき、「ファッション誌はどう成り立っているのか」に興味があったので、ファッション広報の専門学校に、週一回通っていたんです。プレスリリースの文章を書くことはあまり得意ではなかったけど、メディアに対する興味をもちました。モノサスで今やっている仕事は広報業務のお手伝いです。また、バナナ・リパブリックにいたときにマーケティングをしていたので、「トラフィック」「コンバージョン」などWebのアクセス解析で使う用語にも馴染みがありました。今までの仕事の経験も役に立つのかなと漠然と思いながら、モノサスに入社した感じですね。

杉本 松永さんのなかに、伝える仕事に対する興味があって、その役割を担いたい気持ちがあるんですね。

松永 知らない人に知ってもらいたい、いいものがあるよと教えてあげたいみたいな気持ちはありますね。今も、日々の仕事のなかで、お客さんが伝えたいことを届けるためにどうしたらいいんだろう?と、担当者の人と一緒に考えるように心がけています。


おもしろいことができそうだという期待がある

杉本 モノサスに入社して10年目、今までで一番長い社歴になりましたね。長く続いている理由は?

松永 一番は、家族をちゃんと守るために稼がなければということ。でも、「やりたい」と言ったことができているのも大きいです。たとえば、入社して4年目に二人目の子どもが生まれたとき、モノサス初となる男性の育休を認めてくれたのはびっくりしたし、「じゃあ、今の案件はどうする?」って一緒に考えてくれたのもうれしかったです。

モノサスは、「考えて動く」ことに対してすごく柔軟な気がします。「こうしたい」と言えば、基本的にはやらせてくれる方向で考えてくれる感じがあります。「この会社だったら何かできるかもしれない」という気持ちがあるのかもしれません。


幼稚園から帰ってきた娘さんと遊ぶ、育休中の松永さん。

杉本 これから、お仕事ではどういうことがやりたいと思っていますか?

松永 僕、全部面白そうに見えちゃうんです。どれかひとつではなく、全部に興味があるという方が近くて。林さんがやっているWOOD STOCK YARDも面白そうだし、社食研の学校給食(注:神山まるごと高専「まるごと食堂」)やFarmMart & Friends、原澤さんがやっている「ハイカーズ・ジン」も面白そうだなと思って見ています。どれも好きで、「これ」というものが見つからないのが悩みですが、逆に言えば何にでも楽しんで取り組めるのかも。ただ、ずっと同じ仕事をしていると変化が欲しくなるので、最近は新しい風を吹かせたいと思っています。

基本的に僕は楽観的なんです。短期的には「本当に苦しくて困る」ということはあるかもしれないけど、長期的にはあまり感じないというか。忘れちゃうんですよね。幸せに生きてこられているなと思います(笑)。

杉本 あ、これは聞いてみたかったんですけど。コロナ禍になってフルフレックスが導入されても、松永さんは出社して仕事をいていましたよね。会社の近くに住んでいるんですか?

松永 いえいえ、けっこう遠くて通勤がストレスになるくらいです。もともとは、会社にある端末でしかできない仕事があったからだったんですけど。なんで今も出社しているのかというと、ただただ「たまにはこようかな」みたいな感じです。

僕のユニットのメンバーはEast棟にいるのに、僕だけがNorth棟にいるんですけども。その理由は、コロナ禍のときNorth棟に誰も来ていないときがあったんですよ。たまに、打ち合わせで会議室を使うために来ると、ずっと締め切っているせいで建物が死んじゃうみたいな感じがあって。週一回くらい来て、全部の部屋のエアコンをつけて、窓を開けて風を通したほうがいいよねと思って、誰もいないNorth棟に移動してきたのかもしれない。

杉本 誰も知らない、松永さんと建物のひそやかな会話みたいですね。

松永 僕、この建物が好きなんです。なんか自分たちでつくっている感じがいいですし、隠れ家みたいな感じもあります。古いけど、本当に古めかしいわけでもなくて、何ともいえない良さがあるなと思います。


お話してみて、「気さくでものごし柔らかい」「社内外からの信頼厚い」「家族を守るお父さん」という評判通りの人だなと思いました。油断させてくれる感じ(いい意味で)と、頼れる感じが同時にあって、そこがすごくいいというか。もし、洋服屋さんに松永さんがいたら、相談しちゃっていただろうな。これから代々木オフィスで松永さんを見かけたらほっとして安心しそうです。今度、インタビューする機会があったら、仕事人としての松永さんのお話を聞いてみたいなと思っています。

この投稿を書いた人

杉本 恭子

杉本 恭子(すぎもと きょうこ)ライター

フリーランスのライター。2016年秋より「雛形」にて、神山に移り住んだ女性たちにインタビューをする「かみやまの娘たち」を連載中。

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