2018年11月

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水曜日の投稿

門脇 夏美
投稿者:門脇 夏美
(コーダー)

2018年11月07日

下町風情が漂う町、「渋谷区本町」の古今
いつもの景色に、歴史と地図を重ねて

代々木散策マップ

門脇 夏美
投稿者:門脇 夏美(コーダー)

こんにちは。コーディングファクトリー部の門脇 夏美です。
私が渋谷区本町(ほんまち)に引っ越してきて、約1年が経ちました。

新宿駅にほど近い本町は、背景に新宿のビル群を望みながらも、下町情緒と生活感が漂う町です。

愛着をもって住んでいると、本町には気になる場所が沢山あります。
住宅街に突如現れる神社、急こう配の坂道、河川跡の暗渠(あんきょ)...

そして、思わずこの町のことをもっと知りたくなってしまいました。
今回は、本町について気になっていることを調べてみたので、ご紹介したいと思います!

ようこそ渋谷区本町へ!

図1:対象地域の地図(現代) 図の中心にある赤枠のエリアが本町です。数字は、この記事でご紹介する場所1~場所5を示します。



図2:対象地域の地図(明治29年~明治42年頃)
図1と同じ範囲です。

赤枠で囲ったエリアが渋谷区「本町」です。
北側に都営大江戸線「西新宿五丁目」駅、南側に京王線「初台」駅があります。

本町の真ん中を東西に通るのが、「不動通り商店街」です。
町内の多くは住宅街で、不動通り商店街は、町民のお買い物エリアです。

図2は、明治時代の地図です。
本町商店街付近は集落でしたが、さらにその周辺は、多くが水田だったようです。
現在は、本町で水田など見たことがありません。

今回ご紹介するのは、上の地図に示した1~5の場所です。

  1. 坂道
  2. 2つの用水路
  3. 戦国時代から続く「荘厳寺」
  4. 本町の氏神「氷川神社」
  5. 京王線

それでは、出かけましょう!

1. たくさんの坂

本町は、坂が非常に多いです。
自転車をこいでいると、「なんでこんなに坂が多いんだ...」と、息を切らしながら思う訳です。

なんでだろう?と地形図を見てみると、この辺りが谷になっているせいでした。

図3(左):現代の地形図から標高を色分けした地図。(地理院地図より作成)
図4(右):明治29年~明治42年頃の地形図。緑のエリアは水田です。(今昔マップより転載)

左側の標高図を見ると、本町には大きな谷があることが分かります。
この谷は、かつて「和泉川」と呼ばれる河川でした。

しかし、和泉川は現在本町では見ることが出来ません。
では、なぜ消えたのか...?については、のちほどお話しします。

河川沿いでは水が利用しやすいため、古くから水田が形成されていました。
右に示した明治期の地図を見てみると、確かに、中央の谷の部分は水田として利用されていたことがわかります。

現在、水田は残っておらず、ほとんどが住宅になっています。

2. 今はなき、本町を流れていた2つの用水路

かつて、このあたりには用水路が2つありました。

一つ目が、和泉川を中心とした用水路で、図2では北側の青線です。
二つ目が、「玉川上水新水路」で、図2では南側の青線です。

いずれも、今は存在しません。

まずは、和泉川を中心とした用水路についてご紹介します!

この和泉川、昭和30年代まで存在していましたが、東京オリンピックにより市街地化が進み、地下に埋められました。
和泉川以外にも、東京には地下に埋められた川がいくつもあります。
これを、「暗渠(あんきょ)」と言います。

川が地上にあったころの名残が、「橋」です。
本町には、川のない橋が沢山あり、不思議な光景です。


本町2丁目にある暗渠、「地蔵橋」。

そして、本町にあったもう一つの用水路が、「玉川上水新水路(東京市新水路)」です。


玉川上水新水路があった場所。現在は高架になっています。

玉川上水新水路は、明治31年(1898年)に完成しました。
しかし、関東大震災(大正12年、1923年)をはじめとするいくつかの地震被害を受け、昭和初期に廃止になりました。

玉川上水新水路があった場所は、現在大きな道路になっており、高速道路も通っています。

3. 戦国時代のお不動様、荘厳寺


不動通りの一角にある「荘厳寺」。

不動通り商店街を入ると、入口からしばらく歩いて見えてくるお寺が、この「荘厳寺」です。
私が調べた中で、本町に関する最も古い史実は、荘厳寺に関する記述です。

「荘厳寺、光明山ト號ス新義真言宗大塚國寺末、開山ヲ宥悦ト云。永禄四年創建、境内三千三百四十八坪租税地、不動堂アリ。」
引用:堀切森之助編(1978)、『渋谷図書館郷土資料 幡谷郷土誌』、東京都渋谷区渋谷図書館発行、74頁。

よくわかりませんが...
どうやら荘厳寺は永禄4年(1561年)に創建されたようです。

また、荘厳寺の入口には松尾芭蕉(1644年-1694年)が詠んだ句が刻まれた碑があります。

「暮おそき 四谷過ぎけり 紙草履」

江戸時代、市中からこの辺りまで人の往来が多かったことがわかるそう。
現在、荘厳寺の参道は「不動通り商店街」になっています。


本町商店街の様子。チェーン店は少なく、個人商店が多いのが特徴です。

この歴史ある商店街が、今でも町の人々の暮らしを支えているんですね!

4. 本町の氏神様、幡ヶ谷氷川神社


幡ヶ谷氷川神社の様子。

幡ヶ谷氷川神社は、本町の氏神様です。

幡ヶ谷氷川神社には、農業神・疫神・冥府の神である素戔嗚尊(すさのおのみこと)と、川の神である奇稲田姫尊(くしなだひめ)が祀られています。
前述したように、明治時代、氷川神社周辺は水田でした。
本町の農業と、この幡ヶ谷氷川神社には大切なつながりがあったのでしょうね。

また、秋になると2日間にわたって例大祭が開催されます。
朝から町の人が神輿を担いで周辺を練り歩き、威勢のいい声や、太鼓の音が音が聞こえてきて、とても迫力があります。
夜になると、氷川神社の通りに屋台がずらりと並び、老若男女問わず大勢の人が集まります。

JR新宿駅から2.6kmに立地する幡ヶ谷氷川神社ですが、東京都心でも地域に根差した行事が受け継がれていることに、感銘を受けました。

5. 京王線っていつからあるの?


京王線「初台」駅の様子。奥に見えるのが甲州街道で、国道と首都高速の二重構造になっています。

本町の南側、京王線新宿〜笹塚間に鉄道が開通したのは大正2年(1913年)4月15日です。
想像していたより古くてびっくりしました!
当時の線路までは調べられなかったのですが、現在、京王線の車両は甲州街道の地下を走っています。

当時、車両は定員30名ほどで、時速13kmほどで走っていました。
開通した大正2年には年間の乗客者数が174,620人でしたが、大正8年には618,691人になりました。
人口の増加や、電車利用の浸透、中心地の繁栄...
活気を増していった時代ということが想像されます。

愛郷心にふれて

ある日、本町にある酒場で居合わせたお客さんと話していた時のこと。
本町で生まれ育ったその人が、

「(京王線)初台駅が近いから、この辺りを"初台"っていう人がいる。
でも、ここは初台ではない、本町なんだよ!」

その客の話に賛同した他の客や店員も、一緒になって初台との違いを話し始めました。
初台は新しくできた町、本町は古くからあった町だそう。

私は、引っ越し先や旅先で、こういった愛郷心に触れると嬉しくなります。
ただただ空間として存在する地域ではなく、誰かが大切に思う場所だからです。
そういう場所は、いつかその町を離れても、また行きたいと思えます。

大阪で生まれ育ったので、東京へは長旅で来ているような感覚があります。
せっかくなので、愛着をもって、東京にあるたくさんの地域を知りたいです。

人生は一度しかありませんから、ぜひとも、暮らしている地域に愛着をもって過ごしてくださいね。


参考文献:


有田肇(1935)『渋谷風土記』東京朝報社発行
堀切森之助編(1978)『渋谷図書館郷土資料 幡谷郷土誌』東京都渋谷区渋谷図書館発行
谷謙二『今昔マップ on the web 』時系列地形図閲覧サイト 埼玉大学教育学部 谷謙二(人文地理学研究室)<http://ktgis.net/kjmapw/> 2018年10月21日最終閲覧。
本田創『「水のない水辺から・・・「暗渠」の愉しみ方 第3回西新宿からまぼろしの神田川支流をたどる。』ミズベリング MIZBERING<https://mizbering.jp/archives/11943>2018年10月21日最終閲覧。

この投稿を書いた人

門脇 夏美

門脇 夏美(かどわき なつみ)コーダー

1992年大阪府箕面市生まれ。地図と博物館と漫才が好き。パッケージの裏面にある、製造者とその住所を確認する癖がある。アイリッシュ音楽が大好きで、セッションで得られる一体感に至福を感じる。バイオリン弾き。

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