モノサスのタグライン「We Co-Build」|ともにつくる」には、8つの言葉(Relationship、Team、Community、Narrative、Brand、Eco System、Business、Today and Tomorrow)が続きます。代表自身の言葉で「We Co-Build」を語る連載第3回は、「We Co-Build Team」をテーマにお話を伺いました。
杉本: 今回は「Team」ですね。「自治のために話し合い、行動する仲間」と書き添えられています。
眞鍋: 「Team」って言葉を聞いて思い浮かぶのは、2018年春から約1年間、フードハブ・プロジェクトのレジデンス・シェフとして神山に滞在していたデイブ(David Gould)に、「お前は、チーム、チームってキモい」って言われたこと。たしかに、英語では「my team」とかあまり言わないんだよね。まあ、そうだよねーって思いながら、それ以外の言葉を探し続けてまだ見つかっていない感じです。
永井さん(モノサスの副社長)には、「みんなでってよく言うけど、その『みんな』って誰なの?」って言われて。それも、たしかに「みんな」が誰を指すのかを曖昧にして言っちゃってるなあと思って、なるべく「みんな」って言わないようにはしているけど、やっぱり出ちゃう。
杉本: 日本語の「みんな」が、デイブと英語で話すときに「Team」になっていたんですか。
眞鍋: 可能性はありますね。「みんな」を言い換えて、「チームで考えることだから」とか言ってたかもしれない。主語を曖昧にして「みんな」「Team」って言っているのは良くないなって思っています。
杉本: 「自治のために話し合い、行動する仲間」ですので、「自治」の方から話してもらうほうがいいかもしれません。
眞鍋: ここでいう「自治」は、モノサスという組織をみんなで話し合って運営することだと思います。ほら、ここで「みんな」って言っちゃうんですけど(笑)。経営陣だけでなく、可能な限り社員も関わって運営していくってことだと思うんですよね。全員じゃなくていい。「運営は任せる」という人がいていい。ただ、任せる立場を選ぶなら、任せた人たちが決めたことに対してサポーティブであってほしい。
大事なのは合意形成のプロセスだと思うんですよ。多数決で51%以上が賛成しているから決めるのではなくて。「反対だけど、まあいいよ。それでいこう」みたいな腹の括り方のできる話し合いをして進めるかどうかが、個人的には大事だと思っています。会社運営においてもね。
杉本: 徳島の自然スクールTOECの伊勢達郎さんは、「おりあい」という言葉には「居り合う」と「折り合う」のふたつの意味があると言われていました。「折り合う」はお互いが折り合えるところを見つけること、「居り合う」は互いの違いを認めて一緒にいることです。「反対だけど、まあいいよ」は、「居り合う」に近いイメージがあります。モノサスでの話し合いについて、具体的な例があれば聞いてみたいです。
眞鍋: モノサスには、社内のものごとについて考えたい人が自発的に集まって話し合う「寄り合い」という仕組みがあります。予算もつけているので、「オフィスをきれいにしたい」という声があがって寄り合いがはじまり、大会議室をリニューアルしたこともあります。でも、だいたいプチ炎上からはじまることが多いですね。
あるとき、私が「週2〜3回は出社しようよ」と伝えたことがあって。ほんとにみんなパソコンのなかだけで仕事しているので、「もうちょっとリアリティをもって働いた方がいいんじゃない?」みたいな言い方をしたら、「パソコンのなかもリアルだ」みたいな議論が勃発して。私としては、クライアントに会うとか仲間と対面で議論するとかを指して「パソコンの外」と言っていたんだけど、思わぬほうに議論が発展したんです。
モノサスは「フルリモートで働いていい」という労働契約はしていないので、会社側は原則として「100%出社して勤務してください」と言うことはできるんです。でも、それすらも話し合いたい人たちの「寄り合い」で決めてもらって、経営側がOKして「それで運用していこうね」と決めている。今は月4日以上出社というルールになっています。ただ、ものすごく時間がかかったけどね。
杉本: 「寄り合い」の話し合いはどのくらい続いたんですか?
眞鍋: 1年半くらいかな。「週2〜3日出社してほしいという私の意見に対して、違う意見をもっている人が集まって話し合って決めてみたら?ただし、参加しない人は『寄り合い』に委任してね」っていうふうにしたら、10人以上が参加してくれました。最終的に「月4日出社」と決まり、全体会議で伝えてもらいました。「寄り合い」がその議論のプロセスをまとめた資料もとても良かったんですよね。
杉本: 眞鍋さんはそのプロセスをどんなふうに見ていたんですか。
眞鍋: ちょこちょこ参加していたのですが、すごくいい話し合いがされていました。ついつい感情的な意見が出る場面でも、他の参加者が「今は個人の感情はいったん置いておいて、会社運営としてどうすべきかを話さない?」と言っていたりして。
宮本常一の『忘れられた日本人』のなかに、「村寄り合い」という協議の話が書かれています。昔、主に西日本の村々では、村でとりきめを行うときみんなが納得いくまで何日でも話し合っていたそうです。みんなが思い思いのことを言い合って、最後は「きき役・まとめ役」の人が「それでは私が責任を負いますから」「これでようございますか」と言って終わる。たぶん、全員が100%合意してはいないんだけど、村のとりきめは成立しているっていう話なんです。
年始のメールマガジンに掲載した「“よわさ”のレジリエンス」という挨拶文で、資本主義の枠組みのなかでは「小さく弱い存在」のほうがサバイブできるんじゃないかって話を書きました。どちらかというと私は、強くなければいけないという考え方のなかで育ってきた人間なんですよ。だけど、「自分たちの歩幅で無理せず地道に改善し続ける」人たちのほうが強いというか、生きながらえるだろうなと思っていて。私は会社運営を通じて、「“よわさ”の本質をどう理解したらいいのか」という問いに向き合っている。すごく興味があるんです。
「合意形成」や「納得」は、重ねた書類をトントンと整えて角を揃えるように、ピッタリとズレなく一致した状態ではないのだろうと思います。むしろ、それぞれの色がまざってにじみあって一枚の絵ができたときに、それぞれの色をもつ人たちで「これでよし」と言えるかどうか。そのようなイメージに「納得」という言葉を当てるなら、人と人の話し合いもより闊達なものになりうるかもしれないーーそんなことを考えながら、眞鍋さんのお話を聞いて、書いていました。
次回は、「We co-build Community」についてお話を伺います。

