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ルールも環境も、自分たちでつくる。モノサスの「寄り合い」で取り組んだ大会議室改修

はじめまして。フリーランスのライター、塩冶(えんな)です。
普段は長野で暮らしていますが、大学時代にインターン先でお世話になった中嶋希実さんにお声がけいただき、今回モノサスの代々木オフィスへお邪魔してきました。

自分たちに合う働き心地を探究しながら、手を入れ、話し合いを重ねて、会社のかたちを少しずつ整えてきたモノサスのみなさん。

そんなモノサスの自治的な取り組みのひとつが、「寄り合い」と呼ばれる仕組みです。出社ルールの策定をきっかけに立ち上がった寄り合いでは、その後、大会議室の改修に取り組んだり、フリーアドレス化に向けた検討を進めたりしています。

今回は、大会議室の改修に携わったメンバーの中から、龍田さん、山田さん、元木さんにお話を伺いました。

話した人

龍田祥拡
Web&デジタルソリューション 事業統括責任者。出社して同じ空間で一緒に働くことの必要性を感じ、寄り合いに参加。

山田真綺
通常業務では主にWebディレクションを担当。社内の業務ではモノサスサイトの運営や運動会の運営として関わっている。

元木良和
本部に所属し、モノサスのメンバーが働きやすい環境を整えてきた。2025年末でモノサスを退職し、しばらく旅に出る予定。

「出社ルールの検討」からはじまった、寄り合いという仕組み

——まず、「寄り合い」とはどんなものなのか教えてください。

龍田 コロナ禍が落ち着いた頃、役員陣から「出社を増やそう」という話があったんです。僕自身はその考えに共感していましたが、「週3日出社」というルールに対しては、現場から強い反発がありました。

内容そのものより、ルールを決めていくプロセスへの違和感があったんだと思います。だったら、このテーマについて話したい人が集まって、自分たちでルールを決めたほうがいいんじゃないか──そうして始まったのが寄り合いです。

モノサスは地域の取り組みに触れる機会が多い会社ですが、地方では何かを決めるときに近所の人が集まって話す文化がありますよね。その形式を会社にも取り入れて、まずは「出社ルールをどうしていくか」をみんなで考えていこう、と。「寄り合い」という形をとったのは、このときが初めてでした。

──そうして集まったメンバーで、出社ルールについて話し合っていったんですね。

山田 はい。でも最初からルールについて議論したわけじゃなくて、まずはみんなが思っていることを全部出すところから始めました。miroを使って、出社に関する意見や、モヤモヤした感情も含めて、すべて書き出していったんです。

龍田 あのときが一番、紛糾というか……みんなの感情が出てたよね。

元木 そうでしたね。

龍田 いろんな意見や感情が出ましたが、「出社ルールを作ること自体に反対」という人はいなかったんです。あくまで程度の問題だったり、進め方への意見が中心で。

だから、まずは全員が思っていることを出し切って、次に目的を整理していく。これは王道の進め方だと思いますが、目的さえ定まってしまえば、もう半分くらい終わったような感覚でしたね。

なぜ出社するのか。目的が腹落ちした瞬間

──その「目的」は、どのように整理していったんでしょう?

山田 「なぜ出社するのか」を考えるなかで、「コミュニケーションを活発にしたい」とか「若手を大事にしたい」とか、いろんな言葉が出てきました。どれもその通りなんですけど、バラバラしていてまとまらなかったんですよね。

でも、あるとき急に開けた瞬間があって。モノサスの人事ポリシーと「出社の目的」がリンクしたんです。

モノサスの人事ポリシー

人事ポリシーには、「自分のモノサシをもとう」「それぞれの“強み”を活かし合おう」「信頼し、応援しよう」という3つの言葉があります。

特に2つ目と3つ目は、強みを活かし合うためにはお互いを知ることが必要だし、信頼や応援は、日々の積み重ねがあってこそ生まれるもの。「あぁ、だから出社が必要なんだな」と、すごく腹落ちしたんです。

元木 そうしたプロセスを経て、最終的には人事ポリシーの「それぞれの“強み”を活かし合おう」「信頼し、応援しよう」に紐づける形で、出社の目的を言語化しました。

たとえば「近くで接することで、人や自分の強みを知るキッカケをつくる」「フィジカルな体験の蓄積から、目の前にないことを考える想像力を養う」といった内容ですね。

その目的を実現するために、月4回は出社しよう、という結論に落ち着いていきました。

龍田 僕自身も、出社の必要性はすごく感じていました。というのも、コロナ禍での仕事が長くお客さんとオンラインでしか話したことがない若手メンバーが、お客さんとの対面ミーティングで手が震えるほど緊張していたことがあったんです。

「そんなに?」と驚くと同時に、「このままじゃダメやな」と思って。オンラインのほうが気楽だし効率もよく見えるけれど、成長のサポートやメンタル面のケアなど、対面じゃないと難しいこともあるんですよね。

だから、この出社の目的には「若手を育てたい」という意思も、かなり込められています。

限られた条件のなかで、どこまで理想に近づけるか

──出社ルール検討に続いて取り組んだ大会議室の改修は、寄り合いの中で自然に生まれてきたものだったのでしょうか?

元木 実は、寄り合いとは別に、もう少し前から動いていたプロジェクトがあったんです。代表の眞鍋さんを中心に、「大会議室をリメイクしよう」という話が出ていて。利便性を高めたいというのはもちろん、社員同士のコミュニケーションを発展させる空間にしたい。そしてモノサスらしい、愛着の持てる見た目にしたい、という思いがありました。

寄り合いの中でも「大会議室をより良くしたい」という声が出てきていたので、大会議室リメイクのプロジェクトと統合する形で、本格的に動きはじめました。

山田 やり取りをさかのぼってみると、最初にその話が出たのが、去年(2024年)の11月27日だったみたいです。そこからほぼ1年かけてリニューアルして、今年の10月に完成しました。

──完成までの道のりは、どのように進んでいったんでしょう?

山田 まず、この部屋がどんな場として使われているかを改めて整理しました。会議でも使うし、ワークショップをすることもあるし、取材を受けることもある。じゃあ、今この部屋に足りていないものって何だろう?と。

たとえば、当時は照明が3つくらいしかなくてすごく暗かったんですよね。まずは明るくしたいよね、とか。壁も一面だけ黒だったんですけど、それが余計に部屋を暗く見せている気がして。

そうやって話していくなかで、最終的には今の木調の雰囲気に落ち着いたんですが、「全部白い壁にするのはどうか」という案も出ていました。

改修前の大会議室

──改修前の黒い壁は、けっこうインパクトがありますね。

龍田 そうでしょう。これ、当時有志が休日に集まって塗ったんだよね。「普通のホワイトボードじゃ面白くないから、壁をブラックボードにしよう」って。専用の塗料を塗ったんですけど、消えにくくて、だんだん使われなくなって……。結果的に、ただの黒い壁になっていました(笑)。

山田 黒い壁をやめようという話は、最初から出ていましたね。それから、床のタイヤ痕を消したい、とか。ほかにも、壁についている棚を取るか取らないか、新しい棚をつけるかどうか、ぐちゃぐちゃになっているケーブルをどう片付けるか、とか……。予算にも限りがあるので、どこまでできるかを相談しながら、ひとつずつ決めていきました。

元木 そのあたりの検討は、結構時間をかけましたよね。最初の2〜3ヶ月くらいは、ずっとその話をしていた記憶があります。

そうやって考えた結果、お金をかけずに工夫したところもあって。実はこの机、天板をひっくり返して使っているんです。

──え……?ちょっと見てもいいですか?

龍田 ほら、ここに変な突起があるでしょう?もともとは天板の裏側についていた金具なんですけど、ひっくり返して使っているから、こうして上に出てきてるんですよ。

山田 机を買い替えるまでの予算はなかったことを考慮して、デザイナーさんが考えてくださったんです。

リニューアルを終えた大会議室

リーダーはいない。得意な人が自然と前へ

──進めていくなかで、リーダーなどの役割分担はあったんでしょうか?

山田 明確に「この人がリーダー」という感じではなかったと思います。なんとなく会を進める人はいましたが、役割を決めた、という感覚はなくて。

龍田 うん。リーダーという感覚はないですね。ただ、テーマごとに中心になる人が自然と出てきた感じはありました。

全体の進行は山田さんがやってくれて、施工の話になると、前職で内装の仕事をしていた元木くんが率先して動いてくれたり。フリーアドレスの内容を企画書としてまとめる時にはデザイナーの滝田さんがつくってくれたり。

──それぞれの得意なことが、そのまま役割になっていったんですね。

山田 私は昔からまとめ役を担ったり、進む方向を決めていくことが多くて。「こっちがいいと思う!」というのを、なぜかすごく自信満々に言えます(笑)。

元木 僕は前職で培った施工の知識があったのと、もともとDIYが好きで。予算を抑えるためにも、「これは自分でできそうだな」と思ったタスクは引き取ったりしていましたね。

──龍田さんは、どういう立ち位置だったんでしょう。

龍田 いちメンバーです。

山田元木 えっ……!?(笑)

元木 「いちメンバー」っていう感じではないですよね(笑)。

山田 「会社として大丈夫か」みたいな視点は、龍田さんが見てくれていた気がします。大事なところで「それは違うんじゃない?」って言ってくれるというか。

龍田 いや、そんなつもりは全然ないんですけどね。

元木 社歴が長い分、「モノサスらしさ」みたいなものを感覚的に共有してくれていた気がします。

龍田 そうかなぁ……みんなが黙ったときに、ちょっと喋ってたくらいだと思いますよ(笑)。

意見が違うのはあたりまえ。時間をかけて寄り合っていく

──進めていくなかで、大変だったことはありましたか?

元木 やっぱり、意見が食い違う場面はありましたね。寄り合いメンバーの中でも理想はそれぞれ違うし、なかなか前に進まない時期もあって。でも、嫌な意味での難しさではなくて、「こういうものだよな」と思いながらやっていました。

山田 たしかに、合意形成はかなり大変でしたね。誰かが「これでいこう」と言えば決まるわけじゃなくて、その場にいる人全員が納得しないと前に進めない。ずっと平行線みたいな時期もありました。

──どうやって、そこを乗り越えていったんでしょう?

山田 何回も同じ話をしましたね。1ヶ月半くらい、ずっと同じ議題を話していた時期もあったと思います。

元木 月日はかかったけど、逆に言えば、時間をかけて寄り合ったからこその結果だと思いますね。

──なるほど。龍田さんは、どうでしたか?

龍田 最終的に出社頻度をルールとして落とし込むところは、やっぱり気をつかいました。全員が"納得"はしていても、"満足"というわけではない。だから、みんなが受け入れられる落としどころを、話しながら探していく必要がありました。

ただ、大会議室改修や、いま進んでいるフリーアドレスの話については、個人的にはあまり苦労はなかったと思います。

いま2人の話を聞いていると、けっこう大変だったみたいですけどね(笑)。


人が集まって働く。そのなかでは、意見が食い違うこともあれば、話がなかなか前に進まないときもあります。それはきっと大変なことでもあるけれど、フリーランスとして一人で働く身からすると、「仲間がいるっていいなあ」と、少し羨ましくも感じました。

みなさんが手がけた大会議室は、明るくて、とても気持ちのいい空間でした。

塩冶 恵子

長野県御代田町在住のフリーランスライター。生き方・働き方やソーシャルグッドの領域に関心をもち、インタビュー記事を中心に執筆している。