2021年02月17日
教えてゴリさん。"自由"の扱いに惑うモノサス代表・林のお悩み相談[その2]
〜フィードバックが届くとき・届かないとき、何が違う?〜
軽井沢風越学園・校長の岩瀬直樹さん(通称「ゴリさん」)に聞く、モノサス代表・林さんのお悩み相談。[その1]では、コロナ禍の在宅ワークによりモノサスメンバーのエンジンが動きにくくなってしまったという悩みに対し、ゴリさんが風越のプロジェクトが停滞したときのテコ入れについて、その具体的な方法論を聞かせてくださいました。
ゴリさんのアドバイスを熱心にメモしながら聞き、膝を打ちっぱなしだった林さん。今回はさらに深く、本質的な解決の糸口を探っていきますよ。
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岩瀬直樹さん(ゴリさん):
軽井沢風越学園の校長・園長。22年間の公立小学校教諭経験をいかして、学習者中心の授業・学級・学校づくりに取り組む。普段は校内をうろうろ。子どもが本を抱えている姿が大好物。
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林隆宏:
モノサスの代表。2020年4月、風越の開校直前に軽井沢に移住。風越に通う2人の娘と妻とともに、風越コミュニティのなかで暮らす。料理に加えて、焚き火とDIYを趣味に追加。
「同じ文脈で見たフィードバックは届く」という大発見。
林:先ほど(前回記事参照)の、プロジェクトを横断してチューニングする人を置くという方法論。とてもいいと思うんですが、プロジェクト側からすると邪魔だったりもしますよね。会社で言うと、ユニットの案件に役員が顔を出すみたいな感じだと思いますが、準備が必要になるし、もともとの仕事の生産性が落ちる。ミーティングも増えますし、嫌がられないかな、って。
岩瀬:とりあえず僕はミーティングに入らないようにしています。入るとめちゃくちゃ言いたくなるので(笑)。
一同:(笑)。
岩瀬:僕は学校現場が長かったから、「見えること」がいっぱいあるんですよ。「もっとこうした方がいいんじゃない?」ってことが無限に出てきちゃう。
林:無限にね(笑)。
岩瀬:それって、明らかにスタッフの士気を下げるんですよね。「何で士気を下げるのかな?」ってずっと考えていたんですけど、1つの答えがようやく見えてきて。それは文脈の違いなんだな、と。
林:文脈の違い。
岩瀬:同じものを見ているようで見ていないんですよね。相手には相手の見え方があって、僕には僕の見え方がある。僕の文脈に沿ってフィードバックするから、相手はそれが受け取れなかったり、よく分からなかったり。「ゴリさんに言われたから、たぶんいいことなんだろう」みたいに形式的に受け取られて、組み込んだことに熱量はない、みたいなことが結構起きていたんです。
池田:めっちゃリアルですね。
岩瀬:その段差ってよく生まれているなってようやく気づいた契機があって。いま風越にはインターンが3人いるんですが、彼らが毎日振り返りを書いていて、僕も毎日フィードバックするということを3ヶ月続けたんです。
林:うんうん。
岩瀬:インターンの彼女は起きたことを記録して、自分が思ったことを書く。それに僕が、「このときもっと他にできることあったかな?」とか、「今振り返ってみるとこのときの情景ってどう見える?」のように、彼女が書いたことに対する質問の形でフィードバックをたくさんする。そうすると、届くんですよ。振り返りってその人の文脈で書いていますよね。その人が見た世界を僕が読むので同じものを見ている。だから届きやすい。
林:おーー!!
岩瀬:これって圧倒的に違うんです。僕の中で大発見。
林:発見だ!
岩瀬:その彼女に、「活動と探究って同じなのかな?何が違うのかな?」ってフィードバックしたら、ある瞬間に「あ、これが探究だ!じゃあこれに寄り添うためにはどうしたらいいんだろう?」って、彼女の成長のエネルギーになったんです。
でももしそこで、僕が自分の視点で「それって活動を支援しているだけで探究になっていないよね」ってフィードバックしていたら......。たぶん、チーンってなるじゃないですか(笑)。
林:ドキドキ(笑)。
岩瀬:僕、いっぱい失敗してきてるなって気づきました。
「フィードバックし合う文化」と「協働でチューニングする文化」
林:いいお話を聞いた後に、すっごいくだらない質問で恐縮なのですが。今までのシステムになかった振り返りを、「これからしよう」って言うのは強権発動だな、と思うんです。
岩瀬:そうですね、僕もインターンに対してだったからできたというのはあります。ここで成長するために来ているから毎日書こうね、って。振り返りの良さって事後にしかわからないから、スタートすることの難しさはありますね。
林:先ほどのプロジェクトのドキュメンテーションのお話も、振り返りに近いですよね。
岩瀬:はい、近いです。僕の裏目的は、自然にフィードバックし合う文化、批評し合う文化をつくろう、ということなんです。僕はここでは"権力のある人"だから、僕がフィードバックすることの意味ってやっぱり重いんですよね。批評じゃなくて評価として受け取られやすくなっちゃうから。
理想は、近しい人たちの間のやりとりで回ること。「批評し合うことが自分たちの成長やプロジェクトがより良くなることにつながっていくんだ」という共通認識がどうしたら生まれるかな、というのはすごく考えているところですね。
岩瀬:いま、子どもにはそれが浸透してきている感じがしていて、プロジェクトアウトプットDAY(学びの成果発表の場)で発表し終わると、やたら「フィードバックください」って言うんです。
林:僕も娘に初めて「パパ見に来て」って言われました。恥ずかしがり屋であまりそういうタイプじゃないのに、「見てほしい」っていう明らかな意志表示があったんですよね。
岩瀬:うんうん。もうひとつは、「チューニングの文化」もつくりたいんですよね。
「図工に強い」「ライブラリーに強い」というスタッフはリソースですから、お互いを全面的に使い合えるようにつながりやすくする。プロジェクトを設計するときも振り返るときも、いろいろな人が関わってチューニングし合えるようになると、けっこう変わってくるんじゃないかと思うんです。
自分というリソースをいかすカギは、コンサル的関わりにある?
林:僕も岩瀬さんと似た経験があって。昔、坂本ちゃんというメンバーと、交換日記をしたことがあったんです。夜12時までに彼がメールで送り、翌朝10時までに僕が絶対返す。それを1年半くらいやったかな、そのときは彼のストーリーを僕が読むから、明らかに届いていた気がします。でもプロジェクトの振り返り会に僕が行ってコメントするとやっぱりダメなんですよね。届かないし、入るのをやめちゃいました。
岩瀬:でも林さんだから見えることも絶対にあるじゃないですか。それもものすごく価値のあるリソースのはずです。そういう価値をどう取り扱っていくといいんでしょうね。
林:答えになるのかな......。クライアント向けのコンサル案件だとうまくいくんです。完全に自分の視点なんだけど、お客さんに届く。それは、「関わってもらいたい」というお客さんのニーズがあってお金も払ってもらっているから、ということはひとつありますよね。
また、コンサルのときは、相手の思考回路やスタイルに合わせて自分の視点を伝えるんですよね。そう考えると、こちら側の問題が大きいかもしれない。
岩瀬:本当にそうですよね。あとは利害関係のあるなしも大きいと思います。僕がコンサルとして学校に入るときって、やっぱりうまくいくんです。直接的な利害関係がないですし、聞いた情報からしかフィードバックできないから余計なことが起こりにくい。
でもここでは、個々のスタッフとの利害関係がありすぎて、まっすぐに言葉が届きにくい。「評価が入っているかも」とか、「他者との比較なのかも」とか、彼らもいろいろなことが見えているから、やればやるほど悪化していくんです。
林:距離が近いと、評価者みたいになっちゃうというのはあると思います。あとはなんだろう?
岩瀬:そうですね......。外から入ったときのほうがていねいかな。言葉も選ぶし時間も限られているから、何をどう伝えたらいいかも考える。
林:確かに。社内とか身内へフィードバックする場合って、こっちが一人称じゃないケースがある。相手の仕事という意識が強いんですよ。でもコンサルのときはそれが自分の仕事なので、うまくいかなかったら自分へのフィードバックとして返って来ちゃう。
岩瀬:なるほど。
林:そこでていねいさみたいなものが失われちゃうのかな。その発言に対する責任感が無くて「あとは君の仕事だ」って。
岩瀬:だから相手も、コンサルみたいに「伴走してもらっている」という感覚になりにくいんでしょうね。
林:フードハブとの関わりは、ある意味コンサル的になっているかもしれません。何か判断に困ることがあると相談が来て、僕をリソースとして使ってもらっているな、という感じがしています。
杉本:林さんが、外から見ている感じがあるからじゃないですか?
林:見えないところでのお金の工面と親会社の役員との調整で動いているのが中心で、完全に手放している。何も思惑を持たずに接しています。......だと届くのか!
岩瀬:学びとかプロジェクトがうまくいっているチームのスタッフって、評価者として子どもの前に立っていないんですよね。一緒に面白がっていて協働で探究しているようなところは本当にうまくいっていて、大人も楽しそう。でも評価者的に関わっていくとあっという間に冷えていく。大人は無意識にやっていても、子どもは「監視に来ている」とか言いますね。
林:なるほどなー。
岩瀬:そういうことが、子どもの世界では本当にきれいに起こります。エッセンスとしては大人も近しいものがあるかもしれないですね。
(対談ここまで)
「フィードバックが届かない」という悩みは、組織の代表の方なら、誰しも一度は感じたことがあるかもしれません。
2児の母である私は、親子のやりとりにも共通したものを感じながらお話を聞いていました。親として、子どもと違う文脈で話したり、「評価者」として立ってしまったりしていないだろうか......。我が身を振り返り、胃がキリキリと痛む場面もありました(苦笑)。
お悩み相談、次回は最終回です。果たして根本的な解決策は見えてくるのでしょうか?「自由の扱い方」に関する探究は続きます!