2018年12月

26

水曜日の投稿

杉本 恭子
投稿者:杉本 恭子
(ライター)

2018年12月26日

「文章の音楽性」をめぐる座談会
#01 ―文体について―
話し手:西村佳哲さん、安藤聡さん、菅原良美さん/聞き手:真鍋太一

ものさす学習モード

杉本 恭子
投稿者:杉本 恭子(ライター)

『ものさす』をご覧のみなさま、はじめまして。
京都で暮らすフリーランスのライター、杉本です。

2016年から『雛形』というWebマガジンで、徳島・神山町に移り住んだ女性たちにインタビューする「かみやまの娘たち」を連載しています。神山町に通うなかで、モノサス プロデュース部部長でありフードハブ・プロジェクト支配人の真鍋太一さんとも出会い、この記事を書くことになりました。

最初に、この記事がつくられた「そもそも」をすこしお話しましょう。

2018年6月、真鍋さんは「Web料理通信」で「“小さな食料政策”進行中」というコラムの連載をはじめました。フードハブ・プロジェクトの取り組みを紹介しながら、毎日食べている「日常の食」は、人と社会をつくることに直結しているんじゃないか?と問いかける内容です。

ところが、あらたまって文章を書こうとすると、「書くこと」に壁を感じた真鍋さん。「こんなときは、周りのデキる大人から学ぶべし」と、同じく神山町で暮らす西村佳哲さんをつかまえてなにげなく話しかけました。

「西村さん、文章ってどうやって書いたらいいんですかねえ?」
「うーん。まあ、音楽みたいな感じなんだよね、文章を書くことって」

えっ、なになに? 文章を書くことが音楽みたいってどういうこと?――その話のつづき、じっくり聴かせてもらおうじゃないですか。ちょうど2人の編集者さんが来町するという絶好のタイミングをとらえて、真鍋さんはやや寝技気味で座談会にもちこみ、たまたま同席していた私が記事に書いてしまった…というわけです。

さて、前編のテーマは「文体」です。文章を書く人なら一度は立ち止まって考えてみたいハナシだと思います。ぜひご一読ください。

話し手:西村佳哲さんプロフィール
建築分野を経て、"つくる・書く・教える"の三種類のお仕事を主軸に活動。ここ2年ほど、町と立ち上げた「神山つなぐ公社」の仕事にドップリ。

話し手:安藤聡さんプロフィール
書籍編集者。翔泳社→晶文社→バジリコ→技術評論社を経て、2013年より晶文社に復帰。西村佳哲さんの処女作『自分の仕事をつくる』も手がけた。

話し手:菅原良美さんプロフィール
Webマガジン編集者。雑誌『ecocolo』の編集を経て、現在は「移住のニュー・スタンダード」を掲げるWebマガジン「雛形」副編集長。

書き手:杉本恭子プロフィール
フリーランスのライター。2016年秋より「雛形」にて、神山に移り住んだ女性たちにインタビューをする「かみやまの娘たち」を連載中。今回は、真鍋さんとともに座談会を共謀。

聞き手:真鍋太一プロフィール
モノサス プロデュース部 部長。2016年4月より、神山町と「神山つなぐ公社」が共同で立ち上げた、「㈱フードハブ・プロジェクト」の支配人(COO)も務める。

そのとき、編集者は「文体」を語りはじめた

真鍋さんが座談会の話を持ち出したのは、一同が「かま屋」で食事をしている席でのこと。「最近、『Web料理通信』で文章を書くようになって」と背景の説明をはじめると、「へー、いつから連載はじめたの?」「どんなことを書いているの?」とみんな興味津々。わいわい言ううちに「座談会的な何か」が始まってしまいました。

あ、なんかみんないいことしゃべったはる……。うわー、もったいない……、どないしよう? えーい、かくなるうえは録音だ! と、ICレコーダーを取り出してボタンをON。というわけで、「かま屋」のテーブルより中継させていただきます!


フードハブ・プロジェクトの食堂「かま屋」にてほろ酔いではじまった文体のお話。左奥から西村佳哲さん、左中央が安藤聡さん、左手前が菅原良美さん、右奥は神山在住の写真家 生津勝隆さん、右中央が私杉本、右手前が真鍋さん

西村さん(以下、敬称略)

「Web料理通信」の真鍋さんの連載、菅原さんは読んでいるの?

菅原さん(以下、敬称略)

読みましたよ。まあでも、ふだんからWebや雑誌の文章を読むときは、「うまいか、へたか?」みたいな感じで見ていないですね。安藤さんはどうですか?

安藤さん(以下、敬称略)

基本的には文体で見ますよね、編集者っていうのは。本や雑誌で伝えるとなると文体しかないので、「そこにどういう魅力があるのか」で判断しています。「何か気になる」とか「ああ面白いなと思う」とか、「よくわからないけどひっかかるものがある」とかですね。

西村

これまで、気になった文体の人ってどんな人がいますか? ※1 内田樹さんとか?
※1安藤さんは内田樹さんの著書も手がけておられます。

安藤

ああ、内田先生の文体は、もうピカイチだと思います。

真鍋

あのー、すみません。国語的な質問をしてもいいですか? 文体というのは、なにをもって文体と言うんですか? ですます体とか口語体とか、体言止めにするとか、そういうのも文体の一部ですか?

安藤

まあ、それも文体の一部ではありますが、ですます体かどうかというのは枝葉末節の問題で。大事なのは心臓部分であって、その心臓部分を何で判断できるかというと、やっぱりそこはよくわからないっていう。

真鍋

何で判断できるかはよくわからないけれど、文章の心臓部分にあたるのが文体……。

安藤

心臓というか、エンジンですよね。

真鍋

文体を感じさせるものとしての、字面でのテクニックもあるはずですよね?

安藤

あるはずですね。でも、順番としてはスピリットがあって末端があるので、末端から逆にいくのは難しいです。ある程度は、訓練によって逆からも行けるかもしれないけど。

真鍋

ということは、西村さんの文章に出会われたときも、心臓の部分があると思われたんですか?

安藤

まあ、そうですよね。西村さんの場合は、出会ったときに読ませてもらったのは取材記事だったから、西村さんの個性がそれほど発揮されている文章ではないですよね。だから、なんだろう?見ているもの、人とか、場所とか……。

西村

「視点」ですよね。

視点――写真家の文章は「見えている」

真鍋

「文体」にくわえて、「視点」というテーマが出てきましたね。

安藤

視点も大事だと思います。文体と視点、どっちが先かはわからないですけども。

菅原

たとえば写真家って、視点に集中しているから、何を見ているかがそのまま文章になると思うんです。すごく見えているから、書けるというか。

西村

そうそう。星野道夫が文章で、なぜあんなに描写できるのかというと、よく見ているからだよね。

真鍋

見るということを突き詰めているから、自然に書けるということですか?

菅原

「文章の良さとは何か」を考えると、何を見ているのか、その人はどう思ったのかということが重要なんだと思う。写真家は、自分にしか見えないものについて考えていると思うので、書くときもその人自身の文章になるんですよね。たぶん、技術は磨けるけれど、視点は磨くものではなくて。持っているかどうかという種類のものかもしれません。あと、ミュージシャンの書く文章もいいなと思います。

西村

ミュージシャンでいい文章を書く人って、たとえば?

菅原

「雛形」で、ロックバンド、シャムキャッツの夏目さんの連載があるのですが、何気ない情景の描写ひとつとっても自分の言葉で書いているのが伝わってきます。見えないもの、つかめないものを言葉やメロディにしているのがミュージシャンたちだから、文章を書くことはたやすいのかもしれないと思ったことが何度もあります。

誰かが文章にして、声高に訴えないといけない

杉本

写真家やミュージシャンに比べると、ライターは最も技能としての「書くこと」を求められるがゆえに、自分に嘘をついてしまいやすいのかもしれない、可能性として。

安藤

可能性としてはね。今は、フェイクニュースのように、嘘をついてアクセスを伸ばすテクニックもあるし、環境もできてしまっている。そういう意味では、ライターは意外に影響力のある存在になっているのかもしれません。人を傷つけることも、サポートすることもできるだろうし。ただ、同時にメディア・リテラシーも向上するはずなので、ある程度のバランスは取れるんでしょうけどね。

真鍋

次の「Web料理通信」では、「※2ポスト・トゥルース、ポスト・フード」みたいなことを書こうと思っているんです。食も、結局はポスト・トゥルースと同じで、「安心、安全で本当に美味しいかどうか」よりも、「面白い」「インスタ映えする」みたいなものがばーっと広がっていく。
※2 ポスト・トゥルース:客観的事実に基づく情報よりも、裏付けのない情報であっても個人の感情に訴えるものが、世論形成において強く影響する状況。

西村・安藤


あー、なるほど。

真鍋

「ほんとにそれで大丈夫?」って思うけれど、「フードハブ・プロジェクトみたいに小さな活動で、どうやって立ち向かっていくの?」と。そこで、文章の力を使えたらと思うんです。

けっこう、みんな食材や調味料の選び方など適当ですよ、まじで。

誰かがそんな状況がおかしいと、文章の力を使って声高に訴えないといけない危機的な状況だと思います。

西村

わかりました。真鍋さんの連載、メモしておこう。続きは明日の朝に、また。

真鍋

はい。よろしくお願いします。


「文章の音楽性」をめぐる座談会 第一夜、もとい前編はこれにて終了。

いやー、自分自身、書く仕事をしていながらも、あらたまって「自分の文体とは?」と考えることはあまりなくて。人から「読めば、杉本さんが書いたってわかる」と言われるけれど、それが文体かどうかもよくわからない、というのが正直なところです。

ただ、「文体」をつくるのは、安藤さんが言われるとおりに「枝葉末節の部分」ではなく、自分の生き方そのものなんだろうという確信だけは持っています。そして、「自分がどう生きるか?」ということと、「ポスト・トゥルースの時代にどう言葉をつむぐか?」ということも、まっすぐつながっているのではないかと思うのです。

さて、場も温まったところで、いよいよ後編では「文章の音楽性」について西村さんが語りはじめます。つづきは、後編、「『文章の音楽性』をめぐる座談会#02 『文章とはレコード盤である』」にてお楽しみください。どちらかというと、後編のほうが“本番”です。

 

この投稿を書いた人

杉本 恭子

杉本 恭子(すぎもと きょうこ)ライター

フリーランスのライター。2016年秋より「雛形」にて、神山に移り住んだ女性たちにインタビューをする「かみやまの娘たち」を連載中。

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