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Aug,2021
杉本 恭子
投稿者:杉本 恭子
(ライター)

2021年08月02日

〜デザイナー10年目の探求〜
「自分が喜びを感じることを、仕事に生かすにはどうしたらいいんだろう?」
デザイナー滝田、西村佳哲さんに聞いてもらう(後編)

ものさす探究隊

杉本 恭子
投稿者:杉本 恭子(ライター)

こんにちは。京都在住のライター・杉本です。
最近、コンスタントにモノサスのみなさんのインタビューをするのが、本当に楽しいなあと思っています。

さて、「滝田さん、西村佳哲さんに話を聞いてもらう」の会、後編です。

自由と責任 みんなの制度と働き方実験室」でのインタビューをきっかけに、「自身のあり方や興味のあることに、改めて真剣に向き合おう」と思いはじめたという滝田さん。西村さんの胸を借りながら、「自分が喜びを感じること」を言葉にしていきます。この記事を読む人も、ご自身のことを振り返りながら、「自分が喜びを感じること」に触れてもらえたらうれしいです。


「もうここにはいられない」と思う場所からは出ていく

滝田:西村さんは最初に働いていた会社を辞めたあと、「働き方研究家」という肩書きでいろんな方にインタビューをされていましたよね。まだかたちのない仕事を自分でつくる方に一歩踏み込んだときはどんな心境だったんですか?

西村:会社を辞める前、自分がなかなか次の動きを行動化しない、まんじりともしなかった2年間くらいがあったんです。で、辞める直前くらいには「捨てる神あれば拾う神あり(だから自分を捨ててみよう)」「角を曲がってみないとその先は見えない」とか、自分用の金言を出して言い聞かせていました。

辞めることを決めたのは、同僚が「辞めまーす!」って言ったときに、「えっ。いや俺も」みたいな感じだった。僕にとっては「もうここにはいられないよなぁ」と充分わかっていたので、そんなに「えいっ!」て感じでもなかったんです。生き様が変わる時って「一歩踏み込む」「足を踏み出す」という出来事として見られやすいんだけど、僕にとっては「これ以上、この鉢の中にいても展開がないからもう出ないと」みたいな感じだった。

ひとまず出るわけですよ。でも、出たからといって、可能性が高まったかどうかはわからない。ただ、少なくともそこはもう、かつて自分が知っていた可能性の低い世界じゃない。

ロケットが燃焼し終えたブースターを切り離した反動のエネルギーで前に進んでいくみたいに、感じている嫌なことをポン!と切り離しながら、感じている素敵なことの方に自分をちょっと向かわせていく。どちらも感じていることを手掛かりにしていますよね。そのときに「こうなれたいいな」という終着地点があるわけではないです。僕の場合はね。


職業そのものよりも「どんな」の部分に本体がある

西村:目指す目的地があって人生を組み立てている人もいると思うんですけど、僕はそういうタイプではなくて。むしろ「こういう職業に就きたい」というイメージをもつのは、あまりよくないと思っているんです。『自分を生かして生きる』(ちくま文庫)にも書いたんですけど、職業そのものよりも「どんな」ってところが一番大事だから。

たとえば「建築家になりたい」と思っているなら、「どんな建築家になりたいの?」っていう「どんな」のほうが本体だと思う。「どんな」の部分を掘っていったら、もしかしたら建築家じゃなくなっている可能性もあるんだけど、それでいいと思っています。

滝田:私の場合も「どんなデザイナーになりたいか」を今一度考えてみて、そこから「どんな」をもっと追求していくと見えてくるものがあるかもしれないですね。

西村:それがデザイナーだったら、今なさっている仕事だからすぐに明らかにできることがいっぱいあるはずだし、それがいいかもしれないですね。その作業を重ねていくと勝手に逸脱するというか。

自分が成長を展開することによって、自然と新たな環境が必要になって「もうここにはいられない」ってなるかもしれない。そのとき、環境については違和感や危機感がなければ、同じ場所で成長を続けられるかもしれない。

これはいろんなところでよく話しているんですけど、「とにかく気になる人に会いに行く」というのが有効だなと思っているんですよ。その人に直にあって一緒に過ごすなかで「ああ、こんな風に世界に存在していいんだ」という存在感覚みたいなものが伝わってくるのが一番大きいんだけど。

もっと実利的なところで話してしまうと、気になる人は、自分に必要な情報をけっこうもっているんですよね。「こういう本を読むといいよ」「この人に会いにいったらいいよ」と紹介してくれるものがドンピシャだったりすることが多いです。

滝田:会いたい人、気になる人に会いに行く、ですね。

西村:まだ鉢の中から体は移していないけれど、なんか自分は変わり始めるってことですよね。すると明らかに「ここにいない方がいいな」ということが体感として出てくる、僕の場合はそんな経験だったと思います。

「自然にできること」は自覚しづらく、伸び悩む

滝田:最近は誰かに褒めてもらうと「今、褒めてくださったのは、どういう部分をどう感じたからですか?」って聞くようにしています。「良かったよ」と言われても、何が良かったのか自覚症状がなさすぎるので。

西村:「もうちょっと詳しく聞かせてください」と(笑)。

滝田:そうそうそう。私は、大筋で引っ張っていくことよりも、自分の周りで「これをやったらもっといいかもしれない」という部分をやっていくのが好きです。仕事でディレクションするときは、チームの方向性や舵取りを決めるうえでは、作業を担当する人のサポートやバラバラの役職間をつなげることに重きを置いていると、全体がうまくいくなあと感じることが多いです。その「サポート」や「つなぐ」ことは、自然とやりたくなる部分かもしれません。

西村:「サポート」という言葉は日本語だと「支援」「支える」あるいは「成り立たせる」とか。チームをつないで全体がいい状態になり続けていく、それを実現するために必要なことをする。

滝田:はい。その仕事はディレクターになるでしょうか?

西村:ディレクターは「direction(方向)」を決めて「あっちだよ」という仕事ですよね。聞いているともうちょっと「condition」寄りな感じがします。該当する職能があるかどうかは別に、要は、滝田さんの「持ち前のもの」は、必要なものを察知してそこを支えることによって、みんなが良い状態で活動を続けていくみたいな?

滝田:そうですね。そういう風に動いているときは、いい状態で、ベストな状態で活動できるのが理想ですね。

西村:自然にできることって伸び悩むんです。苦労して獲得したものじゃないから、本人も能力として意識していないし、能力として分解できていない。たとえば、僕のことでいうと、「企画してみんなに提案する」みたいなことは自然にできるから、逆に言うと伸び悩んでいるんですよね。

もう57歳なので、自然にできる範囲ではおおよそやったという感じがあって。数をこなしてきたからけっこうなラインには来ていると思うけれど、本当にプロフェッショナルな状態になるには、改めて勉強したり学び直したりする作業がもう一段必要だなと思っているんです。「じゃあどこをやる? 何をやる?」みたいなところに自分は来ている。

滝田さんの場合は、今どんな感じかわかんないけど。自分が作動したはたらきで、他人が「いいね」と感じてくれていることを「もうちょっと詳しく聞かせてほしい」と頼んでいるのはいいですよね。

滝田:今まで、何年も諭されてきたんですけども、「こっちの方が向いているんじゃない?」と言われることを避けて、自分のやりたいことを意固地になってやっていたところがありまして。この歳になって初めて、もともとあった興味に戻して人生を賭けるものにしたいなと感じています。

そうなると、「じゃあ、評価されていることは何だったのかな?」と気になり始めました。おそらく、自分がどんな人間かをもうちょっと深く知らないとダメだなと気づいたからかもしれないです。

西村:僕の場合、自分の「やりたい」をそれほど信じていないんです。そういうのは、けっこう外から入ってきたものでつくられている部分があって。「あんな人になれたら」という憧れや「こんなふうだと人から認められる」というのは外から与えられるんですよね。そこに自分をアジャストさせていく感じになるとけっこう大変だけど、自分があらかじめもっているものを重ねていくのは自然にできるし、しかも他の人よりもできてしまう。

自分が飽きずにずっとできることは、本人にとって自然なことだから、それが能力だと思わないんですよね。でも、あるときに「あれ、これは他の人より自然にできているんだな」と気づいたり、周りに褒められたり喜ばれたりするなかで、自分が見えてくるんだと思います。そういうのがはっきりすると生きやすくなるよね。

滝田:そうですよね、そうだと思います。

西村:それを表す言葉は、既存の肩書きのなかに見つかるかもしれないし、見つからないかもしれない。他人が「こういう仕事だよね」と定義してくれた言葉が、自分にしっくりくるかもしれない。あるいは、肩書きではなくて、実績と自分のところに来る仕事に応じていく生き方やあり方もあると思います。


「実験」ではなく「冒険」が必要なのかもしれない

滝田:今いる場所の外に出て話すことによって、外に出たほうがいいのかどうかが見えてくるということですよね。私にとってはまさに、これまで人に話したことがないことまでたくさん話していて。西村さんに言っていただいた「変わり始める」ことが今起きている感じがあります。

杉本:先日のインタビューや今日のこの場も、滝田さんの仕事の環境、人との関係から一歩外に出るみたいなことだったのかなと思います。先日、ずっと一緒に仕事をしてきた上司や同僚の話も聞いてみたいと言っていましたね。

滝田:そうですね。自分がどこにいる誰と話したいかも考えつつ、自分が「どんなデザイナーになりたいのか」を考えたいなと思います。

西村:話してみるのは小さな冒険ですよね。話しながら、本人は自分の話を聞くことになるし。「あ、自分はこんなことをしゃべるんだなぁ」とか、話しているなかで起きることはありますよね。

滝田:今の私に必要なのは、「実験」じゃなくて「冒険」だなと思いました。実験はどんな結果が返ってくるのかいくつか仮説を立てて、どれに当てはまるかを見るところがありますけれど、冒険はたぶんそうじゃない。

西村:冒険には、仮説はないかもしれませんね。

杉本:そして、西村さんの最新刊のタイトルは『一緒に冒険をする』(弘文堂)ですね。この本でも「そもそも、生きていることは変わってゆくことなんだろう」と書かれていました。

西村:はい。一番最初に載っている「工房まる」(注:障害福祉サービス事業所)のふたりのインタビューとか、面白く読めるかもしれない。

滝田:読んでみたいと思います。お話をさせていただいて課題がたくさんできました。「気になる人に会いに行く」もそうですけども、個人的にズキンときたのは「"どんな"デザイナーになりたいのか」を深掘りすること。そこがはっきりするともう少し自分が見えてくる気がします。今日は本当にありがとうございました。

真剣に自分を探求しようとしている人のそばにいると、自分のことも探求したくなるものだと思います。わたしもまた「"どんな"ライターになりたいのか」という問いをいつも手元に置いているけれど、ついその問いに向き合うことをおろそかにしてしまうことがあるな、と省みていました。問うことは自分の足元をたしかめること。いまは、滝田さんと西村さんの対話を振り返りながら、気持ちのよいステップを踏める自分でいたいと思っています。

この投稿を書いた人

杉本 恭子

杉本 恭子(すぎもと きょうこ)ライター

フリーランスのライター。2016年秋より「雛形」にて、神山に移り住んだ女性たちにインタビューをする「かみやまの娘たち」を連載中。

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