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May,2024
杉本 恭子
投稿者:杉本 恭子
(ライター)

2024年05月02日

モノサスタイランド設立10年目、代表を引き継ぎました。新代表・宮川拓也インタビュー

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杉本 恭子
投稿者:杉本 恭子(ライター)

2024年、モノサスの創業者・林隆宏から眞鍋太一への代表交代に伴い、関連会社であるモノサスタイランドは宮川拓也が新代表に就任しました。宮川は、モノサスタイランドの設立当時からバンコクに移り住み、取締役として新オフィスの開設から現地メンバーのマネジメントまで行ってきました。今回の代表交代のいきさつ、これからのモノサスタイランドの方向性について、代々木オフィスでお話を伺いました。

宮川拓也(みやかわ・たくや)
2009年12月マークアップエンジニアとして株式会社モノサスに入社。Webサイトのコーディングを専門に行う CODING FACTORY のエンジニア/ディレクターとしてWeb制作を担当。2013年11月、タイ・バンコクに移り住み海外制作拠点として Monosus (Thailand) Co., Ltd. を立ち上げる。2024年、現地法人の代表に就任。日本モノサスでは CODING FACTORY のビジネスオーナー、人事関連業務などを兼務する。

写真:廣江雅美


ひとりで立ってやってみたいと思った

ー モノサスタイランド(以下、モノタイ)代表交代に至るいきさつについて聞かせてください。

宮川 2023年4月に、林さんから「モノサスの代表を眞鍋さんに交代する」と聞きました。モノタイの代表については「いくつかパターンはあると思うんだけど、宮ちゃんがどうしたいかが一番大事だと思うんだよね」と言われて。僕が代表になるパターンもあるし、モノサスと同じく林さんから眞鍋さんに代表交代するパターンもある。一ヶ月くらい、いろんな組み合わせや影響を考えて悩んだ結果、代表をやりたいと伝えました。

今まで10年間、モノタイの経営は林さんと話し合いながら行ってきました。林さんには、月一回の全体会議で皆に伝えてほしいことを話してもらったり、必要に応じて承認をもらったりサポートしてもらったり。でも、現地のマネジメントは最初から僕に任せてくれていました。事後報告や共有をしながら、ひとりで進めてきたところも大きかったです。特にコロナ禍以降は、林さんはタイに来られなくなって、皆との関わりも少なくなっていました。

ー 宮川さんの意思表示を、日本の役員のみなさんはどんなふうに受け止められたのですか。

宮川 そもそもモノタイはモノサスの意向でタイに設立した会社。100%モノサスのWeb事業であるコーディング・ファクトリー(以下、CF)や BtoB専門Webサイト制作サービスから受注する仕事で成り立っています。別会社とはいえ、僕自身はグループ全体の利益を考えて動いてきましたし、今後も日本の役員のみなさんには適宜サポートやアドバイスはしてほしいと伝えました。林さんからは、「宮ちゃんが引き継いでくれるなら一も二もなく賛成です」と言われました。そこは信頼してもらっていたんだなと思います。


林さんとのお別れは社員旅行でにぎやかに

ー 代表交代について、モノタイのメンバーの反応はいかがでしたか。

宮川 タイ人メンバー的には出世したみたいに感じるのかもしれないですね。みんな、僕と林さんの実際の関係性はたぶん知らないので、「宮川さんが社長さんの立場に上がった」と見えているんだと思います。退職してアメリカに移住したタイ人メンバーがいるんですけど、インスタグラムで「CEO就任おめでとうございます」って英語のメッセージをくれて。退職したメンバーに誰かが伝えるくらいにはニュースだったのかもしれません。日本人のメンバーは、「おめでとう」というよりは「これからも大変ですね」みたいな感じです。


タイ・バンコクオフィスのようす。ふだんはリモートワークを中心に働いています。

ー モノタイのなかでも、タイ人と日本人で受け止め方のテンションが違うんですね。

宮川 なんとなくですけどね。日本人は日本のモノサスの全体会議で先に知っていて、ちょうど一ヶ月後くらいにモノタイの社員旅行があったので、林さんが「モノタイのメンバーにもお別れを言わせてね」と。そのタイミングで開いたモノタイの全体会議のなかで、林さんから代表引き継ぎについてお話ししてもらいました。

モノタイのタイ人メンバーは、新しく日本のモノサスの代表になった眞鍋さんのことはまだ知らないです。そのうち機会をつくって眞鍋さんにもタイに来てもらえたらいいなと思います。きっとすごく打ち解けてくれるだろうなというイメージはあります。


2023年11月のモノタイ社員旅行。「林さん、また会いましょう!」とモノタイメンバー。


経営責任を負う面白さを感じてきた

ー 現地にいる宮川さんがモノタイの代表になることで変わることはあるのでしょうか。

宮川 代表になったからというわけではないですが、タイの仕事もつくっていかなければと思っています。2022年3月から急激に円安が進み、アメリカと日本の金利は差が開いたままです。リスクヘッジのためにも、日本からの受注だけに頼るのではなく、タイでも我々の価値を提供していきたいと考えています。退職したメンバーがタイの日系企業に転職していて、相談をもらったりもしています。

ー 代表になると経営責任を負う部分がより明確になると思いますが、その変化はどう受け止めていますか。

宮川 タイでは、会社の組織運営や経営へのチャレンジがやりがいとなり、10年間続けられた部分もあります。社長として林さんがいたとはいえ、そこはこれまでもある程度腹を括ってやってきたつもりです。

日本にいたときは、WebディレクターとしてWebサイトのプロジェクトを担当していましたが、実はタイの話が出る直前の面談で部署異動の相談をしていたんです。その後でタイに行く話が出て。会社としても誰か行ってくれる人がほしかったし、僕としては新しいことをやりたいしという、お互いのニーズがハマった感じでした。あのとき、もし他部署に異動していたら、きっと早々に潰れて転職していたかもしれません。友達からは端から見た状況の変化に「運がいいね」と言われたりもします。

ー 自分の成長曲線に合わせてチャンスが巡ってくるなんてたしかに運がいいですね。

宮川 林さんが「運も経営者の仕事のうち」だと話していたことがあって。ピンチのタイミングでいい人が応募してくれたり、人との巡り合わせなどでもラッキーな場面はありました。僕自身も、タイでやっていくなかで意識が変わった部分もあります。そこは、林さんに経営者になっていくレールを敷いてもらったというか。林さんに密にコミットしてもらうなかで、組織全体を俯瞰して見るという経営者目線を植え付けられていったのかなと思います。


複数の立場を背負いながら

ー あらためて、宮川さん自身の今の気持ちを聞いてみたいです。

宮川 すごく胃が痛いですよ。ひりひりしているというか。代表になっていても、なっていなくてもだと思いますけど。僕は、モノタイの代表であると同時に、モノタイが受注しているCFのビジネスオーナーでもあります。CFをはじめモノサスのWebの仕事が増えることがモノタイの利益にもつながりますし、同時にタイの方も現地での仕事をつくっていかないといけない。両方がんばらないといけないですね。

ー モノサスの人事制度をつくるプロジェクトにも入っているそうですね。

宮川 新しい評価制度のかたちはいったん整理しましたが、まだまだ改善点や課題は山積みです。これまで経験してきた色んな立場の目線から、モノサスの制度をより良くしたり、採用やオンボーディングの質を上げたり、人のケアをしたりといったことが求められて、一昨年から人事プロジェクトにも注力しているのですが、あくまでタイの経営が順調にいってこそではあるので、そういう意味で今は正念場だと思っています。

ー まだはじまったばかりですが、これから宮川さんはずっとタイでお仕事を続けようと思っていますか?

宮川 今は年間フルでタイに住んでいるわけではないのですが、必要だと思う限りは、メンバーのために続けていく責任があると思っています。今回は僕が代表になりましたが、それぞれの強みや特性次第で、誰かに引き継いだり、新しく担ってもらったりして、その状況に最適な経営体制を模索したいと思います。次の世代に健全なかたちで引き継ぐためには、僕も含めてまだまだ成長が必要ですね。

ー ありがとうございました。またモノタイのようすを聞かせてください。

この投稿を書いた人

杉本 恭子

杉本 恭子(すぎもと きょうこ)ライター

フリーランスのライター。2016年秋より「雛形」にて、神山に移り住んだ女性たちにインタビューをする「かみやまの娘たち」を連載中。

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